自分用、覚え書き。
くるしいくるしい二週間だった。
わたしは、ガチだから、計算して生きてないので
どうも、反対側の穴にスポッとはまったとき
振り返ると、ほぼ帰ってくるまでに、この日数かかっている。
ほんとのこといって、わたし
脳梗塞でしぬのだろうなぁと、思ってた。
それくらい、脳に酸素が行ってない。
そのまま、本業の仕事をして、今日は帳簿を付けていた。
(確定申告ぶん投げ!を、今年はついにやりまして
今やってます)
お金のブレーキというのが自分の中にあって、
いろんな人の話を聞くと、
それは、自分が持っている豊かさという面と非常に関係していることを知り
本当に自分の心が動くものに、お金を使いましょう
というのも、特に去年からやるようになって
(そういう目で買った物はとても大事にするから。
愛あるし。値段じゃなくて。)
それはまだまだ、ブレーキ外しの前段階だったようです。
先天的、気質的には、
「頼むからわたしをしばるな~」の原始人のきらいが
恐らくよその人よりひどいんですが、
後天的に培った(環境、躾、道徳、法令遵守、など)
わたしは「~あるべき」の数が尋常じゃない人出身者だから
縛りの数がものすごい・・。
で、3/4に、ものすごいブレーキが外れたのですが
反動で、ずっと、本当にあたまの中と目の前がもやがかかっている状態で
自分の課題はわかっているんだけど、
「わからない、ということを、ワルモノじゃなく許可しなさい」
が、どうしても、建て込む用事の緊急性を優先しないといけなくて
出来なかった。
構ってるひまがなかった。
日に日に、それは蓄積されて苦しくなっていった。
自力の限界を感じ、もらったバイト代、正直手放したくなかったけど
ドカンと内8割を、ワークショップに振り込んだ。
その数時間後、新規でえのしごとが入ってた。
そのあと、新規で絵のコンペのはなしがきてた。
(これは採用率33%)
数時間して、あ、これ、神社ミッションだ!
(出すべき場所へ出す、おかねの循環)って気づいた。
意図してはないけど、出すから入る。
わたし、結構昔からこれあって、
先祖に守られているのだなぁ、ギリギリのとこで・・なんて
根拠なく思っております。
(事実は定かではないが)
+++
毎年、確定申告は、初日~3日以内には、税務署へ行ってた。
早く源泉が戻ってくるからさっ。
でも今年はそれ、裏切ってみた。
確定申告はするけど、もう、脳に酸素いかなくなるスピード出して
やるのはやめた。
でも、この時点では、脳に酸素がいってない、
苦しい苦しい言いながら、そろばんをはじく。
(わたし、そろばんというものがすきなんです*)
この苦しい状態から、棚上げにしていたものを拾い出そうと
計算ぱちぱちしながら、問いかけていった。
こんなきもちで「わからない」を棚上げしてまで
何を欲しているの?
>ちょーぼまにあわんと、もらえんくなる。
得をしなければ、手にしなければ・・(だと)
それがもらえないとしたら、どうなるの?わたし。
わからないの反対は、わかる。
もし、わからないままだったらどうなる?
>なにもない、所在がない人になる
わからないからといって、いのちが消えるわけでもない。
そのあと、
>だれにも従いたくなどなかった
そんなことしたくなかった
いやなことをずっとやってきた
でもやんないと不安で
足場がないような気がしていた。
いきている、しろいひかりのなかそこにいる
それでいい。
わーわーだれかが、なんか言って来ようが
わたしがかたちをもたなくても
いきているわたしを、
わたしが「生」(せい)を許可しているだけで、
よかったのだ。
二週間ぶりに、ふぅ~~っと、なにかがはずれた。
豊かさの話を最初に書いたが
これもまた、穴埋め作業をしていたんです。
ずっと。
保身のために。
そろばん、ぱちぱち、いきなりたのしく計算し出した。
そらばんは、たのしい+++
(音もすき)
++
先日見知らぬ同郷の人間から、SNSで
友達申請来て、なんか、カチンと嫌な感じがして
却下した。
(同じカウンセラーさんに師事しているだけの間柄)
長渕かよ!・・というくらい、
ふるさとの人間を憎んでいる。
流れで、わたしは、これも、対峙することにした。
前からやって見ているのだが、いまひとつ
出口にいけなくて、まぁ、期待せずにやった。
少し時間差あって、
これも、わかってちゃんの穴埋めの古い癖だったと知る。
すがって、頼っていたかったけど
あの頃、叶わなかった思いが、逆恨みとなって
蓄積されていたのだ。
はい、今、やっと、絵のしごとのこと
継続するかどうか?
したいかしたくないか?
そんだけです。
はい、やる気ないですね。
フラットになると、それ言いますね。
じゃあそうなんですわ。
今受けたヤツはやって、もうやめます。
気が向いたらやる可能性はあるけど、
もういいわ。
先日の書籍イラストのときの一発目
ものさしと電卓持ったとき、
「嫌~~~~~~~~!!」って
全身が拒否した。
もういい、もうわたし、これ一生分やった。
またこれからもこの生活か?
(穴ぐらのなかのもぐらのような)
たまらん、やめてくれ。
・・あれが、本音だ。
もうわたしは、やりつくした。
やはり、ふらふら行きよう。
いまは、それが正解だ。
ほんと、あたまフラットにならないと
いろいろな、決断は安易には出来ない。
自分を生きよう。
それは、なにものでもない自分の
いのちをおよぐように
いきること。
それで朽ちていくのだ。
さとうきびのようだなぁ・・