人と比べて焦ったりせず、自分と向き合うことが大切。簡単に言う。
生物には閾値というものがあって、それが低ければ敏感だし、高ければ鈍感。
じゃあ、痛みや苦しみの閾値が人より低いとすれば。同じ痛みや苦しみに対して、他の人もがんばってるよということに意味なんてあるのかな。比べたり比べなかったり。
人と比べたって自分は自分でしかないから、だから人と比べることになんて意味がない。
人より要領が悪いなら、何倍も努力しろ。そのこと自体を嘆いたってどうにもならないから。それが当たり前。そうだねたしかに。
生まれながらに出来が悪いなら、努力をするしかない。自分に疑問を持つな。そんな暇があるなら努力をしろ。
それに疲れて線路から外れれば、あとは非難されるだけ。
全部わかる。平等じゃないことを嘆いたって、何も変わらないことはわかる。
わたしの人より劣るところを全部挙げたって嘆いたって、それで誰かに恵んでもらえるわけじゃない。だから、自分でどうにかするためには、努力をすることしかない。
でも、わかってもらいたいという想いをもつことすら許してもらえないんだろうか。
生き辛いなか頑張っているんだということさえ認めてもらえないんだろうか。それが当たり前だから?
じゃあ、何のために生きるんだろう。
楽しくもない苦しいだけの毎日のために、わたしはどうしてお金を使ってごはんを食べて、生きていこうとしてるんだろう。
なんでみんな毎日大変なことを当たり前にこなして、辛い思いをしても上手く隠して、立ち直って、また明るく毎日過ごせるのかわからない。
とめられたいわけでもない。誰かにただ聞いて欲しかった。口を挟まず聞いて欲しかった。歪んでいることは自分でわかっている。わかっているのにできないことが死ぬほどの苦しさだったから。ただただ聞いてくれるだけでよかったのに。
もう進みたくなんかない。ただそばに居てくれただけの夢が死ぬほど嬉しくて、起きたとき現実は地獄だなと思った。