自分vs社会じゃねーか結局
なぜ義務教育で教えない
いや、そうか
社会というのは昔から駒をつくってポジションにはめるだけのシステム
そこに個人の感情など見えてない
現代は中途半端に味方のふりをするが実際は敵だ、タチが悪い
戦争により理不尽な苦痛を一斉に味わってそこから一瞬自分と他人の感情が見えた結果今の味方のふりをする社会があるんだ
そしてこれだけは言える、社会を操っているのは人間ではない
暗い小瓶を流してすいませんでした
名前のない小瓶
46444通目の宛名のないメール
小瓶を1105人が拾った
保存2人
お返事が届いています
ななしさん
個人の感情が衝突するから争いが生まれるワケだから、全く違う感情や全く違う価値観などの両方を納得させられる方法を考えて実践すればいい。
ななしさん
なら社会を操ってるのは誰?
ななしさん
確かに社会って縛られているようには感じたりする。
でもあれだよね、社会がある程度よくまわるには、まわしていく人がいなきゃ成り立たない。
するとどうしても今の世の中みたいになるわけだ。ただ型にはまりすぎるのも良くないからね。そこらへんは自分で考えて行動しなきゃいけない。
ななしさん
>その社会は誰の為に働いているのかな?
一致する利害のためでしょう
人間の
ななしさん
その社会は誰の為に働いているのかな?
その社会っていう共同幻想は誰のために運営されているのかな?
人々が互いを縛り付けあっている。
社会を操っているのは人間ではないけれど人間だよ。全部、意識や思惑や構想や願望が凝り固まったもの。
例えリーダーがいてそれに続くやつがいてもそれは結局のところ各々の選択ってことになる。
恐怖は言い訳にならないよね。それでもっと恐ろしいことに巻き込まれていくのに人間って弱いのか逆に強いのか。
あるシステムを保持しているのも一人一人なんだよね。だって、誰も関わらなければ廃れていくけれどこれが続いているっていうのはさ。どこかからそれを支援する供給源(自覚的でも無自覚でも)がやっぱりあるってことだもの。労働力も金も物も。欲望の奴隷と欲望の主人は表裏一体の現れなんだ。
あなたは気付けたことがあるだけ一歩ずつある在り方から離れていけるんじゃない?
駒になりたくなければ駒にならなければいい、逸れるのが恐ろしいかい?
何かをするとかデモをするとか革命だとか何だとかそういう分かり易い目視できるものだけじゃなくて、ある集団や思考から手を切るとか何もしないとか協力しないとか密かに出来ることがある。それは充分に影で響いてくるし、あるイベントよりも強力に働くこともある。
食ってかかるのだけが闘いじゃない。それは、結局、上と下が入れ替わっただけで同じことの続きになっちゃったりすることもある。改革って外見だけどうにかしても中身が一緒ならしかたない。視点を変えなくちゃ。上とか下とかそんなものから取り外さないとどうしようもない。
あと、社会システムは確かに最悪かもしれないけれど、それを扱う独りにあなたや私がいる。社会も戦争も独りじゃ成り立たないでしょ?
小さな事からだよ。身近にあるものが繋がっているんだからね。人々の内面と外面は連携しているんだ。
一気に変えるのは難しいって思うかもしれないけれど、ある要らない制度は無視したり使わないようにしたり敵を逆手にとることもできる。
ハサミだってお金だって使い方次第で全く別の意味を持つ。選択肢は思うよりも開かれている。意識と視界が(ろくでもない)色眼鏡でカチカチにならなければね。
外見がどうあれ中身が変わればどうにでもなるって逆のパターンもあるわけだ。
私も昔は色んな考えとか固定観念に巻き込まれていたんだけれど、今では脱け出したというかそれをそのまま受け取るんじゃなくて、どうしてみんなこんなことをわざわざするんだろう?って掘り下げてみて改善したり納得することで処理できるようになったんだ。
今は情報社会だからマイナスな情報もすごく入ってくるけれど、プラスの情報もあふれている。それを(良い意味で自分のために他人のために)有効活用したり取捨選択できるように図太くなったら世界を乗りこなせるかもね。抜け道はどこにでもあるよ、それも正規のやり方で。
結構、無自覚や無知でドツボにはまりこんでいる人は多いと思う。それで苦しまなくてもいいのに苦しんでしまったり互いに傷付けあったりしている人も。
ある枠組みに拘りすぎると惨めな虚勢ばかりになるんだよ。悪い誘いには乗らないようにって言いながら今の世界は皆で集団ヒステリーに転がり落ちて赤信号を渡っているみたいだ。
人は社会ってものを気にしているけれどその正体は明確じゃないまま使われているみたい。
人々の総合判断?なんてあやふやなおそろしいものだろうね?それにうごかされるなんてぞっとしないかい?誰がそれを叫んでる?
表面的な湯気よりも気にしないといけないし自覚しないといけない根本的なことがあるよ、その湯気を出している一人一人の生身の心や価値観や人生や意識の在り方だ。
社会が化け物なんじゃなくて敵なんじゃなくて、人々やそれぞれの怨念や恐怖心や脅迫や侮蔑の汚濁や弱さ、茹で上がって抑制のきかない欲情と狂気の凝り固まったものが化け物なのかもね。
外側の物質的なものをどうにかするよりも先に内側の戦いと昇華こそが最も肝心なことかもしれない。
真偽論争に混乱させられるかもしれないけれど敵と己をよく観て知ってごらん。
幽霊の正体見たり枯れ尾花だ。
向こう三軒両隣、鬼でもなく人ってことさ。人、意識、心、生命……あなたも私も誰彼も。
でも、その正体がやっぱり鬼や怪物そのものの事なのかもね。だけど、本質はそれだけじゃない様々な可能性がある筈だからそれに目を開いてみてほしい。
何が良いとか何が悪いとかそれを全員で探し回ったって仕方ないんだ。だって、きっと、この世界では互いに混ざり合っていたりもするから。
それで互いに顔合わせて責め立てても血みどろの泥沼ばかりになる。……でも、あまりに酷いことには意見した方がいい事はあるよ。それが色々と変化の切っ掛けにもなるから。お互い様にね。
何でも耐えろなんてそれこそ悪い心へのお手伝いさ。逃げることもたち向かうことも有りだし、互いを被害者にも加害者にもしない態度というのもあるんだ。下手に関わらないことが互いを無事にすることもある。
あなたが暗くなったり傷付いたりするように柔らかい処や基本的な尊厳はそれぞれに備わっている筈。そして、その反対の資質もね。
そんな自分自身とそれが創り出した世界に気付いて自覚していく人々が増えることで、変えて行けるし、抜け出せることもあるさ。
それぞれの胸に尋ねて少しずつでも大らかになれたら、ね。それだけでも落ち着きが満ちてくる。
漫画みたいな展開は御免だけど現実って思うよりも誰か(集合)の作品みたいだ。しかも、大筋は何だかネガティブなSFの装いに引っ張られているみたい。趣味が悪いよね、書き換えたくなるよ。だから、私はある話題はもう無視して日々を単純に自明にしているんだ。
肝心なことは疑いようなく何者であってもこの身からなんだって。一人一人が為すように為ることがこの通りなんだって。
そして朗らかな方向に先ずは一人でも……って飛び出していく人や流れがいっぱいに広がったらひっくり返るよ。
本当は善も悪も根元は同じであとは何だってどんなふうに扱ってあげるかだけの事であったりするかもしれない。
青い鳥探し悪い者探し……それはすべての自分のお家にいるんだよ。
あなたはどんな心と眼差しと在り方で世界を歩く?
それが本当に瞬く間に現実の内容を変えてしまうかもしれない。
……自分VS社会(他人/世界)はある意味ではその通りさ、それは突き詰めると自分VS自分にもなる。そしてVSは=でもあるんだ。
ひとつひとつが和解したり改心できたらいいんだけどね、ある物事は見捨てたり見限るのも一理だけど。
ななしさん
社会を操っているのは確かに人類であって人間ではないのかもしれませんね。
ななしさん
遺伝子が出来るだけ開花する=自己実現だとある人が言ってた。優れた人というのは自ら創る人なんだって。社会には破壊したり壊したり傷つけたりするものも存在するよね。でも人間の本質は創造性にあるはず。子供をつくる、仕事をつくる、自分の時間をつくる…みたいに。だから良いもの、新しいものを創ろうという気持ちが大事。多分ね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。