家族についての話。
マトモな家に産まれたかった。
家族が嫌いだ。特に母親が嫌いだ。「お前がいたから楽に生きていけない」「お前が〇〇をするなら私も✕✕する」だとか、何かと子供に対して執着してくる距離感が気持ち悪い。人を人として扱わない。子供のゴミを漁ることは親として許される行為らしい。他人の価値観をよく知りもせずに否定することは、彼女にとっては「批判」しているだけらしい。彼女からすればこの世にあるもの全てが批判対象らしい。彼女の愚痴を聞くことは子供の仕事らしい。
否定せずに受容してという作業が子供に対して求めることらしい。幼少期からそんなもの、カウンセラーや、ぬいぐるみや、サボテンや壁とお喋りしていればいいのにと思っていた。7歳の私の疑問に対して、彼女は「何も反応しないから、傷つかないから」との返答が得られた。我が母ながらなんという女だ。旦那はどうした、父親はどうした、飼いならされて正常な判断もつかなくなったか、逃げ出しているだけか、役割を放棄しているだけか、糞野郎。なんで、結婚なんて、子供を持ちたいとか考えたのか、そもそも何を考えているのか今でもわからない。
幼少期から母親の愚痴を聞かされながら育ってきて「おや?」という違和感を持っていた。しかしながら、世間知らずで馬鹿だった私は「これが普通の家なんだ」と、思っていた。今、思い出しても腹立たしいし、過去の自分への憎しみや子供を産む選択をした両親に対して、「子供を持ちたいとか正気だったのか、事故で産まれたのか」と純粋に疑問に思う。
友人の家族での話を聴いてみると「あー、私の家ってマトモじゃないのか、そりゃそうだったよなハハ」と納得してしまう。同時にマトモで、普通の、平平凡凡な家庭を持つ友人が羨ましくてたまらなくなる。友人が家族と仲良く買い物に行ったという話を聴いて「何かのギャグなの?」と、思っていたけれども健全な家ってヒステリーとか喧嘩とか怒鳴り声とかとは、縁遠いんだなぁと衝撃が走った瞬間の感覚は忘れられない。マトモで健全な家の話を聴いていて憧れるし、自分には手に入らなかったものなんだなと嫉妬してしまう。健全な環境で育った人とそうでなかった人との差は、あるよなぁとひしひしと感じる。根本的に差がある。
母親は恐らくどうしようもないメンヘラで、何かしらの精神疾患持ちなんだろうなと思う。あの人は子供が欲しかったんじゃなくて、「精神的な完璧な奴隷」が欲しかったんだろう。無意識的にしろ意識的にしろたちが悪いし、自覚なんて一生しないだろう。自己実現のために必要な努力をしようともしないくせに子供に対して、「あなたの為よ(私が満たされるためのね)」と罪悪感のような呪いで縛り付けて洗脳して自己満足に浸ってる甘ったれなんだろうなと、どうしようもないなと思う。
世間では家族は大切にしなさいという考え方が、染み付いていて一般的なものだろうけれど、そんなもんクソくらえだと思う。犬にでも喰わせてろ。
家族に対して、産んでくれたことや育ててもらったことに対しては感謝しているけれど、愛着は全く沸かない。実家にたまに帰ると懐かしさこそ感じるが愛着は沸かない。弟はすっかり母親教に染まりかけているし、生きるの苦労しそうだなとか、まだ間に合うかもしれないとか、もう無理なんだろうなとか色々と考えてしまう。とにかく、全速力で逃げてほしい。ある意味生命の危機だと思うし、逃げるための手段はある。