幼稚園の頃に思ったこと
自分以外にもいろんな考えを持った人間が数え切れないほどたくさんいると知ったとき私は疑問に思った
今、私の考えていることは、本当に私の考えていることなのだろうか?
たくさんの生き物がウジャウジャしている
自分以外にも、きっと自分以上に物事を考えている人物だってたくさんいるんだろう
なら、私が今考えていることすらも考えている人だっているんじゃないのか?
といことは、私自身が考えているように思わせておいて、私はその人にとっては単なる暇つぶしの人形でしかない存在の可能性もあるのではないのか?
周りに転がっているおもちゃと私の違いは何だろうか?
幼稚園の頃にはじめて自分以外にも思考している人間がいるのだと気付いた
そして過去の出来事を綺麗に忘れていくことにも気付いた
不思議な気持ちになって感動したことを覚えている
でも、今の私はその感覚が分からない
忘れたい過去ばかりが増えていく
忘れられないことが辛くて、だけどなにもかも覚えているわけでもないことも辛くて
自分以外の人に自分の人生を決めてもらいたいと願ってしまうくらいに考えることが苦痛で
幼稚園の頃に抱いた疑問が真実なら良いと思ってしまう
自分はドームの中にいて、それをのぞき込んでいる人がいる
どんだけ頑張っても暗くて見えないけれど、宇宙人みたいにひょろ長い身体を折り曲げて椅子に座る、観測者が眺める小さなテーブルの上
そこで私は生きたかった
小さな頃の空想は、今の私にとってこれ以上ないほど魅力的だったらしい
「自分が今ここにいるのは、他の誰かに連れてこられたキャラクターだからって考えたこと、ある?」
そう首を傾げる人に私はさも当然という顔で答えた
「あるよ、幼稚園の頃に考えてたね」
それを聞いた人は目を剥いて、そしてしみじみと呟いた
「アンタ、昔からヘンやってんね」
そんな会話をしてから気付いた
普通の人はこういう考え方をしないということに
ゲームも漫画もアニメすらも見たことがない、片手で数えられる年齢の時に
私はもうこの考えがあった
なら根本的に私の思考はそう望んでしまう質なのだろう
私は誰かに作られた存在
今、考えていることも誰かが考えていたセリフ通り
この場所にいるのも、そういう舞台設定だったから
それこそが真実なら良かったのにと思ってしまう
私は昔からヘンだったんだな…
46887通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
私はいろんな人からヘンな人って言われるんですよね…
何をするのもめんどくさいって思ってしまうので、夢とか目標を持ったことが一度もなかったんです
なので受験も経験ないですね…
特にやりたいことはないって言えば「好きなことをすれば良い」
嫌いなことはあっても好きなことはないって言えば「そんな訳ないじゃん」
特技もなく、趣味もないなって言えば「今まで何をしてきたの」
なにもしてこなかったって言えば「人は生きていれば必ず役割があるんだよ」
役割ってなにって聞けば「それは自分で見つけること」
決まっているんだったら、別に考えなくても良いんじゃないかな?って思ってしまうんですよね
今まで従うことが正しいって教えられてきたのに、さあ君の未来は自分で掴み取るんだ!って力説されても「なにをどう掴み取るんだ?」って困惑して、周りを見渡せばみんな自分の好きなことややりたいこと、たまたま目についたものなどを手に取っている
好きなことは苦しいんだよ、みんな楽をしたわけじゃない、妥協と諦めも肝心って頷いてるけど…なんにもしたくないって思っている人は誰もいなかったです
そんな時に小瓶の会話があって思い出したんですよね
なにもかも決められていたら、こんなに困惑しないんだろうなって
好きなものがあれば違うのかなっていろんなものを見たり聞いたりしたけど、どれも楽しいって思えなくて
目についたものに飛び込んでも、やっぱりめんどくさいなって思うだけで上達することを別に望まない
ゲームの決められたセリフを言うキャラクターの方が私なんかよりよほど自分の役割を全うしているなって思うんですけど、それが悔しいとも羨ましいとも思えないって言ったら、やっぱりヘンだって言われてしまいました
まりちゃん
自分に、主体性があるということを、受け入れられないのかな?
言われたことを、はいはい、と言ってやってきたのかなぁ?
読む限りは、思考で生きてる人なのかなぁと思った。
ゆえに、思考で自分をコントロールできると
思っているのかな?とも思った。
過去も含め、浮かんできても、追わずに手放す、
遊びでやってみるといいよ!
楽になれるよ。(最初は練習がいるけど)
思考じゃなくて、こころのほうが、内側から欲しているものを
教えてくれるよー
(のどがかわいた〜の、延長)
な〜んとなく、受験生なのかな?と思った。
(これは、完全に憶測!)
以上、思ったシリーズを書いてみました。
ななしさん
西遊記の孫悟空が仏陀にこの世界の果てにお前は行けるのかと問われ、キントウンに乗って颯爽と出掛け世界の果てにしるしを付けて戻ってきた。得意気に仏陀に話す孫悟空であったがしるしは仏陀の手にあった。
小瓶を読んでそんなこと思い出しました。
人の考えなんて所詮孫悟空だよ。
どんな視点であってもね。
ななしさん
おお、いろんなひとがいるんだなあ。
どこか高いところから神の視点で誰かに見られてる感覚、は幼い頃たしかにあって、わたしは誰に見られてるのか気になりつつ「監視カメラごっこ」って命名してました。
薄れつつ、まだその感覚があるよ。
社会生活を送るにはときどき邪魔です。
そんなイメージかしら。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。