四年前に偶然ここを見つけて、1通のメールを流しました。その時、喝を入れてもらい、死ぬことを考え直しました。
ふとここのことを思い出し、またメールを送っています。ちなみに未だに死にたい気持ちは消えません。
そこで質問ですが、
長年死にたいと思っていた方で、
死にたくない!生きたい!と思えるようになった方がいらっしゃいましたら、そのきっかけを教えて頂きたいです。
名前のない小瓶
47541通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
小瓶主です。
皆さん、お返事ありがとうございます。繰り返し読ませて頂きました。
死にたい気持ちを抱えたまま、もうしばらく生きていこうと思います。
烏羽
長年かどうかは相対的っぽいので、ちょっとよくわからんが…少なくとも5年以上は思ってたかも。(ちょっと忘れてきているのでうろ覚え)
死んでも、嫌いな自分の何かが変わる訳ではないと気付いたからかな。そしてそれから逃れられる訳でもない事にも。
死を自分への罰だと思ってたんでね、ある時、逆にそれは自分がやった事から逃げ出したいだけなんじゃないかと思ったんだよ。
でも、罪だと思っている事を心から受け止めて、変わろうとする事そのものが罰を受ける事。
自傷とかじゃなくて(やったけど)、実際痛みのようなものを伴う事だと思ったし、失敗したからこそ、誰かを傷付けたからこそ、なかった事にはしたくなかった。
自殺しに山まで行った事もあったけど、最終的にはでかい芋虫に救われた気分を味わったよ。
罪を背負う重みに耐えかねて死ぬのがおあつらえ向きだと最初は思っていたけど、苦しみ抜いて生きるのも、罰かなって思ったんだ。
その頃あたりが、生きようと思う事に変わる1つのきっかけだったかもしれない。
ただひたすらに死とはなんなのか、生きるとはなんなのか、命とはなんなのか、自分のやってきた事だの、自分のその時の気持ちだのなんだの考えてたし…
そうだなあ、宛メで色んな人がいる事を知ったり、人様に死んで欲しくないだの言ったりしてたかな。
まあ、死にたい気持ちを抱えていても生きてはいけるだろうし、死にたい気持ちと生きたい気持ちが同居しだす事もあると思う。
俺の場合、そもそも何で死にたいのかと言えば自分の事が辛かったからで、なんで生きたい気持ちが出てきたのかというと、辛い事もあれば楽しい事も確かにあったと思えたからかな。
勿論、死にたくてたまらない時は、楽しいと感じる事とかにも嫌気が差したり、何にも感じないような感覚になったりしたけどね。
それでも、自分が何かをしなきゃ、変える事なんて出来る訳もなかったからさ。
ちょっとずつ生きてた。
生きたい!と思えるかといえばそうでもないけど、今ならそこそこ生きたいと思えるかな。
死にたい気持ちはもう、あるとも言えないし、ないとも思えない。
それでいいんだって思ってます。
ななしさん
一緒にご飯を食べる友達が出来たこと。
また会おうとかまた会いたいと思う人がいると、そういう気持ちは薄れていった。
生きたいというより、生きてていいんだよって言ってもらえた気がしたよ。
家族は助け合うのが当たり前(義務?)だけど、他人は当たり前じゃないよね。
だからその人は私のことを放っておいてもいいはずなのに、一緒にいてくれたのがすごく嬉しかった。
だから引きこもらずに外に出てみようっていうアドバイスは、無責任に聞こえるけどやっぱり正しいと思う。
他人と繋がりがないと、自分を肯定してもらえないから、なかなか救われないんじゃないかな。
ななしさん
主さん、おはようからこんばんはまで。
ガラリと180度変わるってことはあると思うけど映画みたいにきっかけって日常でガツンと起こることは少ないと思うの。
でも、すこーしづつでも自分を知っていくと変容は必ず起きる。だから死にたいを抱えながら生きるのは悪くないと思うの。
痛いから痛みをすぐ取りたいのは肉体を持った私たちはしょーがないけど、ゆっくりでも「死にたい」理由を持つ自分(主さん)の意味が見えたら、多分死にたいは、解ける。
せっかくだから死にたいと思う自分を観てください。その思考で主さんは何を守ろうとしているのか、何が心底怖いのか、死んだら何から解放されると思ってるのか。その答えで親や友人(と思ってる知り合い)を罵倒するもよし軽蔑するもよし、人生への不満を呪うもよし。
それが終わったらきっと、新たなお誕生日です。
元気に死にたい日々を過ごしてね。これ、皮肉じゃないのよ!
ななしさん
時間が経って死にたいと思ったのも若さ故だったのかなと思えるようになった
ななしさん
私は、家にいるのに「帰りたい」とつぶやいてしまう子供でした。
大人になった今、その気持ちを翻訳すると
「こんな世界やだ、ここにいたくない」
という気持ちだったのだと思います。
みんなの「普通」がよくわからず
よくわからないけど
自分が「普通じゃない」ことは確かで、辛かった。
「普通になりたい」と頑張りながら大人になり、でも、ムリがあったみたいで、
ある時、限界がきて、心身ともに停止しました。
世界が止まり、時間が止まりました。
ドロップアウトした気分で、とても落ち込みました。
何度も何度も何度も、絶望の淵に落ちました。
落ちた時は、頼れる所があれば頼り、
なければじっと耐えました。
どうにか生き延びて
少しずつ、少しずつ、浮上しました。
そして、心の自由を手にいれました。
今も道のりの途中です。
だから、どの瞬間にこうなった、とかはありません。
しいていえば
ドロップアウトした前後の
あの辛かった日々。
その日々の中でもがきながら
最終的に
「自ら死ぬという選択肢を、外すしかなかった」
という感覚です。
「自ら死ぬことを、あきらめた」のです
死んだって、逃げられない、楽になれない、って、わかったから。
自ら命を絶っても、楽になるどころか
死ぬ前の一番つらい瞬間を、永遠にループし続ける
という話を聞きました。
もし輪廻できても
死にたくなる位がんばって生きてきたこれまでの日々はカウントされず、
すべてゼロからやり直しになるんだそうです。
もったいないでしょう?
死ぬほどがんばって、ここまで来たのに。
ラクになりたいなら
寿命まで生き抜くしかないのです。
逆にいえば
生きてさえいれば、それでいいのです。
死にたくなるくらい嫌なことは、
しなくていいのです。
そうは言っても生きていけないなんて、幻想です。
無学の人、無職の人
地球上にどれだけいると思いますか?
バカにされる?損する?
そんなの、バカにするほうがおばかさんなのです。
おばかさん達に
何もなくても楽しく生きる自分の姿を見せてあげるのです。
教えてあげるのです。
何がいちばん大切かということを。
過去の私は
勝手に「こうあるべき」の枠を自分で作り出し
その枠にきちんとはまれないからって
勝手に死にたがって苦しむ
自作自演ゲームを楽しんでました。
今は「死にたがりステージ」をクリアし
「本当の自分を生きるぞステージ」をプレイ中です。
こちらも、なかなか簡単には攻略できないけど
とってもおもしろいです。
暗黒に感じてたあの時を今振り返ると
きらきらしてるんです。めちゃめちゃ。
辛かった時ほど、輝いてるのです。
未来はもちろんですが、過去も変わるんです。
自分の視点や価値観が変わってしまうのです。
がんばって生き続けると、こんなこともあります。
生きるのをやめるんじゃなくて
死にたくなるくらいイヤなことを、
やめるんです。
自分の心に嘘をつくのを、やめるんです。
勇気を出して、やめるんです。
何もしなくても、胸張って生きていいんです。
呼吸してる、それだけですごいことなんです。
あなたって、本当はすごい存在なんだよ。
あなたを、みくびるなよ~!
(34270通目も、読んでみてね)
ななしさん
そんなものないんじゃないですか?
人間って普段それほど、死にたくない!!生きたい!!なんて意識してないし・・・何かのきっかけ、というよりはいつのまにか死にたいという気持ちがなくなっていた・・・というほうが自然だと思う。強烈なきっかけや急な方向転換求めるのは、かえって心に負担がかかって危険だと思う。
たぶん、小さなきっかけの積み重ねで、いつのまにか死にたくなくなっていくわけで・・・きっと、日々のささいなことのなかにきっかけらしきものがたくさん潜んでいると思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。