復学するか休学を継続するか迷っています。
私は去年の春から美大に通い始めましたが、受験後の燃え尽き感や大きな環境の変化、家族の不幸などが重なり、うつを発症し、半年休学しています。
今も月に一度、精神科とカウンセリングに通い、治療と共にこれからどういう生き方をすればよいか模索しています。
休学中も、仲の良かった友達と価値観が合わなくなったのをきっかけに、友達をすべて失い完全に孤立、つい最近でも再び家族を失うなどの出来事があり、静かに休養できたという感じはありませんでした。
でも、発症した当時からすれば、「何かしなければ」という焦燥感や「こんなこともできないなら私は罰を受けるべきだ」という罪悪感も減り、幾らか前向きでいられることが多くなってきました。考え方の歪みが減り、いい塩梅に変わってきた……と思いたいです。
今は、「もう大丈夫だ!」とやる気に満ち、いつも以上にテキパキと家事や買い物をこなし、映画鑑賞や読書を楽しめる日もあれば、突然体が重くなり「もうだめだ」と将来を悲観し、真面目に自殺の段取りを考える日もあり、相変わらず不安定な感じで過ごしています。
ただ、以前よりもエネルギーが戻ってきた感覚はあります。
昨日も、「将来が不安で死ぬくらいなら粘土でもこねよう」と思い立ち、何時間も粘土をこねて人間の頭部を生成していました。
でも、持ち前の完璧主義をこじらせたばかりに徐々に悲観的になり、最終的にはぐちゃぐちゃにして、「こんなことをして何になるんだ」とうんざりしてしまいました。
その日その日で意見も心の姿勢も変わってしまい、どれを基準にしたらよいのだろうと考えています。私にとっては、どの気持ちも真実のようにリアリティがあります。
そして、私は将来について、いまだ何らかの方向性が持てておらず、自分の中に生き方の軸になるものがないと感じています。それが尚更、将来を悲観してしまう原因かもしれません。
美大に入ったのは、「美術に関心があり更なる学びを深めたかったため。美術を通じて社会貢献(デザイナー、教師、画家など)をするための土台作りを行うため」が当時の主な理由でした。
そして、「私はここに入ることになっている」という根拠のない直感もありました(今思えばおかしなことかもしれませんが)。
でも、受験を迎え、いつの間にか合格することが目標に変わっていきました。
入学当初、確かに勉強そのものは興味深く、楽しめました。それに関しては、今からやり直しても楽しめるかもしれない、と思っています。
でも、当時の「何故美大に入ったのか?美大で何がしたかったのか?」という動機の感覚(これがやりたい!という気持ち)が、なくなっています。
復学しても、こんな中途半端な気持ちで、うつの揺り戻しにへこたれながらでも続けられるかどうかが気にかかっています。
絵や作品を制作することについて興味を失ったわけではありませんが、休学中はその日の状態にどうしても左右されてしまい、なにもしていない時間の方が遥かに多かったです。
真剣に作家を目指している人、真剣に美術や表現を学んでいる人からしたら、私はなまっちょろいのだろうなと思います。
そもそも、向いていないのだろうか、やりたくないのだろうか、と考えることもあります。
結局のところ、復学か休学かは、医師と相談の上で決めようと思いますが、でも、何だかモヤモヤして仕方がないので、書かせていただきました。
名前のない小瓶
48517通目の宛名のないメール
お返事が届いています
みき
私は入院により出席が足りなくなり留年、
その後半年休学し医師の反対を押し切って退院して復学しましたがだめでした。
強い意志がないと少し厳しいかも知れません。
ななしさん
美大受験のことは、詳しく分からないのですが…すみません。自分はイラストや漫画を描くのが好きな人間です。
合格することが目標に変わっていきました、とのことですが…美大に合格するには、きっとそのための勉強を一生懸命する必要があったのでしょうね。
精神的な負担も重なってしまったのですね。家族に不幸があったとき、私もきっと元気ではいられず、すぐに元気を出すことは難しいと思います。
美大に入ったのは、『美術に関心があり更なる学びを深めたかったため。美術を通じて社会貢献(デザイナー、教師、画家など)をするための土台作りを行うため』とありますが、最初の動機は大切なもので、動機の感覚がなくなってしまったとしても、確かに存在したものですよね。
好き、という気持ちは、何よりも最初の動機になりやすいもので、自分もこれが絵を描き始めた最初の動機です。
あなたの心が『好き、楽しい』と思うことを見つけること、それが解決策になるといいのですが…。
ななしさん
動けるまで回復するまで大変だったと思います。本当にお疲れ様です。
今の小瓶主さんには、普通に生活する分のエネルギーはあって、頑張って色々としようとすると溜めていたエネルギーだけでは足りないのかもしれないですね。無理をせずに、体力や心に余裕をもてるくらいの行動でセーブするといいかなと思ったりです。頑張りやさんは放っておくとギリギリまで頑張りすぎるので・・・、余裕がある方が「量は減っても質の良いことが出来る」ことを心にとめておくといいかなと思います。余裕があるのはとっても大事なことだと思ったりです。粘土こねるのも、不安を紛らわすのに「意識を外に向ける」のが良いと聞いたことあります。
その日その日で意見も心の姿勢も変わってしまうのは、頑張って葛藤しているからかなと思ったり、その日その日の出来事での気持ちの上がり下がりによるものかなと思ったりです。全部が全部ひっくるめて小瓶主さんで、それで良いんだと思います。将来についても、どれが良いというよりも、選んだ先で何をするかだと思います。大きな方向性(芯になる部分)だけ見失わなければ、ああしてみよう、こうしてみようとウロウロしてみるのも人としての楽しみかなと思いますし、視野が広がるのではないでしょうか。休むことにしても、回り道するにしても、役に立たないことなんてないと思います。
将来の方向性、生き方の軸になるものがないと言われていますが、「美術に関心があり更なる学びを深めたかったため。美術を通じて社会貢献(デザイナー、教師、画家など)をするための土台作りを行うため」と当時のことを書かれていて、当時の小瓶主さんが真剣に出した思いをもっと信じてあげて欲しいなと思いますし、「絵や作品を制作することについて興味を失ったわけではありません」とも今の小瓶主さん自身が書かれています。「絵や作品を製作すること」が小瓶主さんの芯になる部分でしんどくても、しんどくなくても変わらない部分で、大きな方向性ではないでしょうか○
楽しむことが難しかったり、動機の感覚が無いのは、自分の気持ちの整理がまだとか進む前に何か心残りというのがあるのかもしれないし、まだ前に進むだけのエネルギーがちょっとだけ足りてないのかもしれないし、あるいは進むことへの不安が、動機の感覚を引っ込めってしてしまってるのかもしれないなと思ったりです。
復学して、ポンっと出てみるとそれがきっかけで、やる気が戻ってきたりもすることもあるし、やっぱりエネルギーが足りなくてしんどくもなるかもしれないのは、小瓶主さんの言うとおりかなと思います・・・難しいし、不安でしょうがないですよね。
小瓶主さん自身、やっとここまで戻ってこれたって感じだと思います。何もしてこなかったのではなくて、必死にしんどい小瓶主さん自身とずっと向き合ってきたんだと思います。ここまで頑張ってきたんですから、頑張ってきた小瓶主さんを認めてあげて欲しいなと思います。
これからのことを沢山たくさん悩んで、色んな人に支えてもらいながら、小瓶主さんが選択して決めれると良いですね。応援しています○
冬
主さん、お疲れ様です。
なぜ美大か?という問いは主さんの場合、なんのために生きているか、に繋がっているのかとも思いました。
答えがわかって生きるのではなく、それを探りつつ行きつ戻りつしながら生きるように、確たるものがなくても今この時間を美術に関係して過ごしてみるということでいいのではないかと思いました。
なにをやったとしても壮大なる時間潰しです。
なら気持ち良い時間を過ごせれば。
気が鬱々とするときはなにも考えないのが1番です。粘土をこねている時こそ心は安定し不満も不安もない。まさにそれが瞑想の時間です。意味を求めるのは仕方ないことですが、思考に振り回されて不幸になる必要はないのです。
家事や買い物、映画と動ける時は気持ちもよく不安はそこにはありません。でも逆にただ不安が見えないだけなのでは?だから誰も止まっていると不安になるのです。
手を動かせば、何かは残り(残らなくてもいいのですが)、そこに良い悪い、意味がある無しというジャッジをする必要も本当はないのかもしれません。
生きることも本来そうなのではないでしょうか。生きている、それだけで実は満たされている。実感はないかもしれませんが。
あなたはとても素敵です。美術は人を解放します。それを知っている人なのですね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。