ななしさん
あなたはそのお友達が大好きなんでしょうね。
どうでもいい人の言葉なら、きっとそんなに心を縛られない。
あなたの命に巻き付いて、来年も再来年も、この世にとどまらせるくらいの力がある。
まさしく愛だなあって思いました。
この宛メには「愛されたい」と願う小瓶がたくさん流れてきますが、その人達が求めているのって、まさにそのお友達みたいな存在なのかと思います。
「来年も再来年もよろしくね」って、「来年も再来年もあなたを愛してるよ。だから元気でいてね」ってことだもの。こんな風に未来の約束をしてくれる存在は、簡単には手に入らない。
特別に生きたいとも死にたいとも思わないなら、どうかもう少し生きていて欲しいなあ。それだけでその人が喜ぶんだから。
生きているだけで誰かを幸せにするあなたも、きっと、簡単には手に入らない人。
どっちも貴重な人だよ。
うらやましいね。
ななしさん
表現が上手な小瓶だったので、思わず返事を書きました。
言葉が巻き付くっていう表現だけで、全ての文章に味わいが出てます。
本題へ。
生きるという事の大半が、人と関わる事なんだと思うんです。
生きる事も、人と関わる事も、同じ意味なんだと思う。
「人生とは薄氷を踏むが如し。」
死にたい訳ではないけど、生きていたい訳でもない。
その不安定な間を、行ったり来たりするのが人生なのです。
そんな不安定な状況を、時間という波に絡み取られながら、その中に取るに足らない様な、小さい幸福感を探して生きて行くのです。
貴方が持ったその感情の違和感は、実は誰もが持っている違和感なんだよ。
「来年も再来年もよろしく。」と言った友達も、同じ違和感を持って生きているのさ。