一歩引くのが当たり前でした。
好きでも好きでないフリをして、目を背けた態度でいました。
好きになると苦しくなるからです。
同じ好きな同士でも周りが輝いて見えて自分に自信がなくなるからです。
それは、同士以外でもそう。人というだけで比べて自分に劣等感を持って落ち込んでしまう。
自分のものにしたくて、したくて、でも出来ないもどかしさとそれが自分には釣り合わないという自分の落ち度を感じては落ち込んで。
私なんかが好きになってはいけない。釣り合わない。そこまで情熱を持てない。
これは、恋愛の話ではないけれど、もし好きな人が出来てもきっと私は、好きでないと思うでしょう。
人に対しても、趣味に対しても。
好きな芸能人、好きな食べ物、好きな場所、好きな作家、好きな絵師、好きな飲み物、好きなキャラクター、好きなアニメ、好きな映画、好きな、好きな、好きな、‥。
好きになると、もっと知りたくなりますか。
私は好きになろうとすると苦しくなります。
もっと知ったら、もっと知ったら、そしたら、私は貪欲の欲張りな欲深い変態になってしまいそうです。
もう、変態なのかもしれないけれど‥。
知るのが怖いんです。
SNSで言葉にして発散させたいとも思わないし、これ以上好きになりたくないとも思います。
正直なところ、ガチ勢と言われる人と比べられるのも追い詰められる感じがして、嫌です。
比べると、私の好きが否定されてしまう気がして‥。
私はオタク気質があると自負しています。
好きなものにはとことんお金を費やしたい気もします。もっと知りたいと思います。
好きでもっと知りたいのに、好きになりたくない。この相容れぬ真逆の気持ちを私は感じて苦しんでいます。
好きになりたいのに、みんなしんどいっていいながら、好きでいるの?
なんで好きになると苦しいの。苦しくなりたくないのに。
好きで好きでしかたない。
自分のものにしたい。隣にいたい。好きでいてほしい。好きになりたい。
ある人は好きになるのは自由だと言うかもしれない。
けど。それだけで済まない。
近づけば近づくほど、もっと知りたくなる。
そして近づくほどに、遠くに離れていく。
遠く、離れていく。
独り占めしたい。
自分の中に取り込みたい。
そんな欲求が生まれます。
名前のない小瓶
49353通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
怖くて踏み込めないなら、その程度の気持ちです。
好きなら、セーブする暇もなく落ちます。もっとうまくなりたい、もっと詳しくなりたいと、理性より感情が爆発します。
もちろん、盲目状態はいいことばかりではありません。全財産はたいたり借金したりは良くない。しかし、好きだという情熱はそれくらいコントロールがきかないものなのです。
だから好きになる勇気がないなら、それでいいのです
烏羽
なぜ苦しいのか。
あまり宛にして欲しくはないが、文章から個人的に考えてみるに。
湧き上がって来る欲求に対して、どこかで、それは結果、よくない事を引き起こす可能性が思い浮かび、自分を引きとめようとしているからかもしれない。
俺は正直、主さんとは違うだろうけど、酸素を吸う事自体、自分とは釣り合わないと思っていたし、そもそも地球のおかげで、地球の上に立っているというのも罪悪感を感じていたよ。
今考えても俺は、発想的にちょっと変だったのかもしれないけども。
でも、何か返せるものがない、思い浮かぶものがないから、どうしてもこれでいいのか、不安に感じてしまう事もある。
自分の事と同じように語る事は出来ないし、それ故、なるとしてもあくまで参考程度にして欲しいんだけど、もしかするとそういった不安の裏返しから、離れたくない思いが、「好き」に乗っかって来ているのかもしれない。
なんていうか、知る事によって、相手のプライバシーを考えるから故かもしれない。
でも、もしかすると、その面において、他との一線の引き方というか、人がどう考えているのかを忘れている時もあるかもしれない。
俺にも言えるけど、人が自分の事を知ってほしいかどうかというのは、自分自身が知りたいかどうかとは、やっぱり別だからね。
その、一歩引く事、それの練習をしてみたらいいんじゃないかな。
自分の行動に制限をかけるのは良しとしても、行動の全てを出来なくしてしまうと、向上もクソもなくなっちゃうと思うし。
人との接し方に置いては、例えばだから同じようにする必要はないけれど、相手が明かしてくれた情報以上はあまり求めようとしないとか、好きだからといって、相手を否定するのも辛いだろうし、そうしてしまったら謝る事を心掛けてみるとか…
知りたくなる気持ちは良いとして、それに乗っかる形で、相手がどう思うのか、自分の行動を観察してみるとかどうかな。
これが不味かったかな、とか、なんとなくわかるかもしれないし。
まあ、なんていうか、好きなのに苦しいっていうのは、人と向き合うという根幹があるわけだし、自分や相手の中を、特に(殊更に)気にする事に繋がるからじゃないかな。
個人的に、好きも嫌いも興味の変形だと思うしさ。オタクだからとか、自分自身が変態かどうかだとか、そんなの関係ないさ。
好きになると知りたくなるかどうかと聞かれたら、正直そういう事もあったり、ない時もあったからよくわかんないけども、強いて言うなら苦しいと感じる事もあるし、あまり嫌な思いはして欲しくないから、最低限知って置きたい事というのはあるね。
もしかすると誰しも、事細かにいろんな事を見ていけば、そういう所はあるものなのかもしれないし、他人事だからそう言えるのかもしれないけど、大丈夫じゃないかな。
とにかく、知るってのは、ある種の近づく事かと思うし、好きでないフリをして一歩引くというのはそれに対しての離れる事かと。
どちらも悪いって事はないけど、行き過ぎると困った結果を引き起こす事になるかもしれないって事はある。
今までは、自分を否定する事で距離を取るのが最善策だったんだけど、これからの自分自身には合わなくなってきたのかもしれない。
それでまだ、自分なりに上手いと思えるような、納得できるような距離感の掴み方がわかってないのかもしれんね。
…うーん、とりあえず、必ずしも「好き」は熱意でも、お金や買ったグッズの数でもないとは思う。
人それぞれ「好き」の中の思う事、詰まっている思い入れや要素は違うだろうし、そこから考えてみると思いを比べるというのはとても難しいんじゃないかな。
小瓶主さんのように、それぞれの表に現れない葛藤や苦悩のようなものもあるだろうし。
似たような要素が目に付く、というのはあっても、本質的に全く同じって事はほぼなさそうだし。
比べる、というか、同じ土俵で考えて比べる事が難しいというか…、みんな違って、みんないい、的な?
綺麗な石を見つけて拾っても、そこに何を思うか、なんの思い入れがあるかは違う。
拾わない人もいる。何を思って拾わないかは、また一人一人違うかもしれない。
人の価値観に良いと思うか悪いと思うかは別にして、人を知るって、多分そういう事さ。
そして、その中に自分もあるという事。
好きの気持ちも、不安な気持ちも、自分のものなんだから、誰かに出す出さないはまた別にしても、遠ざかる必要はないと思うな。
無理に自分を遠のけようとしてもやっぱり、どこか納得できない気持ちが反発しちゃうんじゃないかなあ…。
これは困った気持ちだと、自分を戒めるのはいいにしてもね。
自分で考えて、そうしたいんだって思えたなら、例えまだ納得できない気持ちがあっても、前へ進もうと決心した分、協力はしてくれるかもしれないしさ。
個人的に、知り過ぎる事や近づき過ぎる事が問題なんじゃなくて、その過程や結果起こるかもしれない、不安な事が問題なんだと思う。
それに対して、どうすれば対処出来そうか、考えてみるのも手だと思うよ。もしくは、あえて、最低限以上は考えないようにするとか。
考えすぎて袋小路的に、なんも出来なくなっても困るっしょ。
何はともあれ、気が向いたら色々試したり、考えたりしてみたらどうかな。
考えてわからなかった時は、その時はわからない、が答えでいいと思うから。考えても仕方がない時もあるし。
疲れた時は、無理に試そうとか、考えようとかせず休んでね。
あえて、疲れた状態でもやってみたい気持ちになった時は、止めはしないけどさ。
自分を責めた結果、苦しくなって行動に支障が出ない程度に、少しでも上手い具合に自制ができるといいよね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。