幸せでなくては駄目とか。
見捨てられたくないとか。
駄目な大人になりたくないとか。
マイナスの楔を私は胸に打ち込んで生きていた
嫌いな人でも仕事や家族であるなら、
最低限必要な対応をすべきだと思うってある人に言ったら、
なんか逆に人間味が無いって言われた。
その話を聴いてから、ずっと思ってきたこと。
例えば私は、私以外の人たちが喧嘩してたり、
険悪なムードになっているのを見ると、
本当に胸が苦しくて、何とかしないとって焦りすら覚える。
関係ない人たちだってわかってるよ?
自分のせいじゃないってわかってるよ?
それでも誰かの苛立ちとか、刺々しさ、悲痛さ、
それが肌をすり抜けて私の中に入ってくるようで。
人間各人は部品で、集合体としての場の規律を私は第一としているらしい。
それを乱される事は本当に嫌。
上手く活かせるなら嘘をついても構わないって思ってるし、
結局は自分で理想の環境を作りたいってことなんだろうけど。
それが何故なのか、そういう性格なのかって思ってたけど、
祖父母と父母の折り合いがあまり良くない事に思い至った。
自分の親の事なんだから何とかしてよって父には思ったし、
黙ってないで何とかいいなよって祖父には思った。
綺麗事しか言わない母にも、あまりに偽善的な祖母にも。
ありがちな、ありふれたことなんだろうけど。
今、周りの空気にやたら敏感で、
機嫌を損ねないように嘘を付いてでも立ち回る癖があるのは、
子どものころからそういう空気が本当に嫌だったんだろう。
思い返してみると、怒られたことばっかり覚えている。
横になっている父にじゃれついたら、
足首を掴まれて逆さのまま布団に落とされたこと。
今の父が他人に急に怒り出す様子を見るに、
そのときの一回だけじゃなかったのかもしれない。
おもちゃを買ってもらったあとに、別のやつもよかったかも、
と零したら烈火の如く怒られておもちゃを取り上げられたこと。
そのおもちゃは二度と帰ってこなかった。
怖かった。
どれが触っちゃいけないスイッチなのか分からなかった。
自分が悪いから怖い目に合うんだと思ってた。
今思い返してみると、確かに自分も悪いと思う。それでも怖かった。
でも分からなかったんだよ
家族の大切さ、相手の立場に立って考える事の大切さを何回も説かれた。
私が、失敗したり、疲労したり、責任を負う立場になった時、
弱音を吐いた時に、それは甘えとか、それは大したことないとか言うのはどうして?
私の立場を考えてくれないのはどうして?
子どものころからおぼろげに思ってた。
わかってほしい、理解して欲しい、許してほしいと今でも思っているのは。
言い様のない罪悪感がまだ残っているのは。
どうしてですか?
まあ、そういう風に書いたけど、多分良い家族だったんだと思うし、
生活費も学費も、多分気付いていない費用も不足なく払ってもらった。
各人も良い人達だと思うし、弟も妹と素直に育ってると思う。
幸せな、普通の家族だと思う。
怒られて叩かれたことはあるけど、理由のない暴力は滅多になかった。
料理も作ってもらえる、旅行にも行った。
求めたものとは違うけど、心配もしてくれる。
いつでも帰ってきていいよ、って言われてる。
だから、少ないけど家にもお金は送るようにしている。
長期休みには家に帰るし、流石に今の歳になると特に気を張らなくても大丈夫。
でもね。
多分私たちは別々の場所で暮らした方が良い。
たまに会う今ぐらいの関係が良い。今ぐらいの関係が限界。
きっかけという訳じゃないけど、
従兄弟が病気になって休まなくちゃいけなくなって、
でもあの子は前からサボり癖があったから、なんて言う人たちと
一緒に暮らしていくのはちょっとキツイかなって思っただけ。
改めて自分の事を思い出すと、結構縛られてるなーって思ったけど、
正直子どもの頃の事は殆ど覚えてないし、あったとしても怒られた事ぐらいしか。
もっと酷い家族が世の中には居ることは分かってる。
大したことないですよね、って言われるのも覚悟してる。
甘えですよね、感謝すべきですよねって事もわかってる。
でも、これは私の感覚で私の感性だから。
これから先の事は自分で決めていこうと思って。
そう。
自分で稼いだお金と、自分で選んだ人たちと生きていきたいなって。
まだわからないこととか、まだ解決していないこととか、
まだ悩まないといけないこととか、まだ怖くてたまらないこととかあるけど、
全てをクリアーする鍵はまだ見つからないけど。
今までありがとうね。
それでも家族だったんだと思ってるよ。