私、私とうるさい小瓶。
いつもちょっと抜けていて見ていられなくて、手伝わなきゃいけない子だ。優しくしてあげましょう。
いつもいつも言われてきた。
ほらまた失敗したでしょう。貸して。
ちゃんと言葉で言わなきゃダメでしょう。
もういいよ、私がやるからやめときな。
自然と助けたくなるような可愛いらしさとは違うから、そういう作り物っぽい「助け」ばかりもらった。親から少しずつもがいて離れても、どの環境でも側にいるのは「助けたい」病のひと。
どれも自分の投影や義務感でしょう。さみしいばかりで、手足を動かすことも取り上げられて。
一緒に頑張り、たかった。
出来ないだろうけど、やってみたかった。
いや、本当になんにも出来ない私だったろうか。
彼らは、優しかった。優しいと思ってた。ふとした会話、私のこと大事なんじゃなくてただ彼らは、「私」を作り上げて「自分が必要だ」って思いこんだんだね。
私も、ひとの目に映った自分ばかり見てしまうから相手の見る風に自分作って、そのくせそれで満足されたら 違うのにって寂しくてイライラして。
言い寄ってきた君も、さりげなく訊けば 「こんなとき一緒にいてあげる」「こういう弱さ、消してあげる」
私の辛さは弱みは、私のもの。
ほんとに支えてくれるなら、私の「笑顔」を見破れ。
返事もきかずに「よかれとおもって」「こういうの苦手でしょ」。
耳触りだけの言葉聞かされて寒いままの、目の前の私に気づいてくれ。
本当に救ってくれたあなたは「普通に」接してくれた。しんどいときはもたれていーよ、くらいの距離。
ほんとはそこまでくっきりした輪郭のわかってない、ぐらぐら毎日かわり続ける私でいられる。
ひとりで行動していると、ちっとも失敗をしないから。ご機嫌でどこへでもいけるから。歩けばいつも上手くいかなくてごめんごめんってパニックになるのに、どうしてかな、って。
だけどよく思い出せば、道を間違える、電車を逃す、忘れもの。
いっぱいやらかしてる。気にしてないだけ。
そっか、
私は「失敗」といいつつ、落ち込むのは一緒にいるひとへの「迷惑」「がっかり・軽蔑される」を気にするからなんだ。
なんだ、まだまだ見栄っ張りだな、私。
どこまでも軸は、外にある。
相手によってくるくるカメレオン。
「こんな感じの私がすきでしょ」
そんなことだけすぐわかるようになって、そう振る舞えばちゃんと気に入られて。
だからだきっと、本当にそばにいたい、丸ごとでいたいひととは上手く話せないよ。
心のなかで軽蔑してる、相手にばかり好かれてく。それを嫌がる 醜い私だ、、なんて悲劇ぶってみる。
私は、なにがすきなの?
誰といたい?
どこへ行きたい?
「嫌い」という感情がやっとわかるようになったけど、その対象が自分ばかりで、だから自分にばかり甘くて。
文化祭に修学旅行。
今日も 体調ぼろぼろでしんどい私に「だいじょうぶ?気合いやで?まってる♪」
ニコニコしながら打って 五分もたてば忘れるようなメッセは届く。私が倒れたときずっと側に居てくれたひととは、私が言葉をみつけるまできいてくれたひととは全然別の子たち。
行事が終わるたび作り物の私を好きといった君が「切り替えて」ほかのこと楽しく歩き出す。誰でもいいって思えたらいいだろうね、お幸せにね。
「あいつ思ってたより病んでたし」
知らねえよ、助けたいんじゃなかったの 笑? 傷跡みせてほしがったのは誰?
…あ、私、甘やかされたいのか?
それでも1人になるのが嫌で、まがい物でも構ってほしいから私は下手なくせに演じるよ。ばれてるよ、笑う君、うんそのくらいが可愛いんでしょうって思いながら笑う私。
残暑がぶり返してきついね。
あなたはどうしてるかな。
元気だといいね