人によって態度が変わってしまうこと、いつも「素」でいられないこと。
ネットですら、「自分の印象のために」言葉を選んだり 相手のことを必死に考えて関わり方を決めること。
とても薄っぺらで嫌で、でも本当の私 とやらが存在するのかもよくわからないし。
だけど、
この人に笑ってほしい
この人に聞いてほしい
この話をしたい、わかってほしい
そんな心も私の本当。
相手にとって心地よい人でありたい。
そんな他人基準の軸を作り直したくて、
でも そう思う相手がいることも 心地よく感じてもらいたいことも、私の本心だ。
素直になろうと言葉を考えることが、すでにつくりごと。きっと、いじらず投げた言葉に限って届いたのはそのせいだろう。
大切にしたいものはまだふわふわしている。
だけど、ふと放った言葉を受け取って貰えたときにひどく嬉しく感じる、その瞬間 ああこれが自分の本当なんだなってわかる。
泣いていたというその日まで迎えに行きたく思うとき、自分のことみたいにその幸福を暖かく感じるとき、その人がすきだって知ることができる。
あれもこれも鏡。
「私が嬉しい」ことを一番にしたいな。でもやっぱり、それで笑ってもらいたいな、好きなことはすきだもの。
あんまり嫌にならないで、螺旋階段みたいに 同じ軌道に見えてもちゃんと上へと、変わっていきたいな。
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誰かよりも先にその気持ちをあなたご自身に向けてあげる。
そうしてると自分が満足出来るようになるから。
そうしたら自分以外の相手の望みにも寄り添える気持ちになれる。
自然体で無理をしないご自身のまま接すれるようになれる。
相手からは安心して信頼の笑みを見せてもらえる。
幸福感の共有ってほんといいなぁっておもいます。
私も誰かとそんな気持ちになれる時間を持ちたいなー。
私は自分をほったらかして他人の世話を焼いてしまう事が多かった。
私がその人の笑顔がみたいだけだったならまだ良かったのですが…
無意識に自分の存在を有り難く思われたいとか頼られたいとか、潜在的に相手を支配したいから恩を売っていたような所がありました。
それに気付いてからはお節介は控えて相手からの要望を聞いてみるようになりました。
そうすると結構自分がしようとしていた今年とのズレが大きくて面食らってしまいました。
その距離を話し合うだけでもお互いの距離が近くなるって随分と年齢がいってから気付きましたが、私自身の空回りの親切のゴリ押しをしなくて消耗も相手に有難迷惑を与えなくてよくなりました。
サプライズ好きだった私を卒業して相手に寄り添って自分の出来る範囲で相手からの喜んで貰えれるように気遣い出来る私を目指したいなと思っています。
優しい気持ちの小瓶を拾えて嬉しいです。
ありがとう。
私も、自分が傷ついたり不幸だと他のひとに八つ当たりのように乱暴に扱ってしまう。
そして自己嫌悪、後悔。
たとえ相手より自分のほうがちょっと苦しくても、相手が笑ってくれたほうがいいと思う。
難しいよね。
でも、優しくなりたい!
ななしさん
良い変化ですね。
私も頑張ります。
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