人によって態度が変わってしまうこと、いつも「素」でいられないこと。
ネットですら、「自分の印象のために」言葉を選んだり 相手のことを必死に考えて関わり方を決めること。
とても薄っぺらで嫌で、でも本当の私 とやらが存在するのかもよくわからないし。
だけど、
この人に笑ってほしい
この人に聞いてほしい
この話をしたい、わかってほしい
そんな心も私の本当。
相手にとって心地よい人でありたい。
そんな他人基準の軸を作り直したくて、
でも そう思う相手がいることも 心地よく感じてもらいたいことも、私の本心だ。
素直になろうと言葉を考えることが、すでにつくりごと。きっと、いじらず投げた言葉に限って届いたのはそのせいだろう。
大切にしたいものはまだふわふわしている。
だけど、ふと放った言葉を受け取って貰えたときにひどく嬉しく感じる、その瞬間 ああこれが自分の本当なんだなってわかる。
泣いていたというその日まで迎えに行きたく思うとき、自分のことみたいにその幸福を暖かく感じるとき、その人がすきだって知ることができる。
あれもこれも鏡。
「私が嬉しい」ことを一番にしたいな。でもやっぱり、それで笑ってもらいたいな、好きなことはすきだもの。
あんまり嫌にならないで、螺旋階段みたいに 同じ軌道に見えてもちゃんと上へと、変わっていきたいな。