ずっとずっと、死にたいと思っていた。
生きていくのが辛くて、幸せな感じがしない。
はじめに言っておきたいが、私は学校の成績も良かったし、卒業もしたし、ちゃんとした会社に就職して、普通に社会生活も送っている。
友達もいないわけじゃないし、付き合ってくれた人もいないわけじゃない。
客観的に見たら、まあまあの人生なのかもしれない。
でも、ずっとずっと、心の中に重い塊があって、それが時々重たすぎて、死にたくなる。
自分のことを認めて肯定できたら幸せになれる、とか、友達に話してみたら、とか、気が晴れることをしたら、とか、自分が本当に好きなことをしたら、とかそんなアドバイスがある。
自分が本当にしたいことって、なにか。
自分が本当に理解されて、愛されていると思いたい。
本当に好きな人と、理解しあえて、セックスしたい。
それ以外に、なにかしたいことなんて、かつて何にもなかったし、いまもどうやら、何もない。そういう瞬間が、今まで全くなかったわけじゃないけど、今となっては幻想のようにも思えるし、もう、これからは理解され愛されセックスするなんてことは、できそうもないような気がしている。
今は自分が空っぽだし、何もないように感じる。愛されて理解されてセックスする、これがあった瞬間だけが幸せに思えて、生きていけるような気がした。安堵の気持ちが芽生えた。世界が捨てたもんじゃないと思えた。
他にしたいことはないの?今まで、仕事だって趣味だって頑張ってきたじゃないか?
会社の仕事もまあまあ、趣味の音楽もまあまあ、それで十分じゃないか?
そういうものは、私にとっては修行だからなあ。やることを決めて、やり続けるだけだよ。すごい楽しいわけでもないし、生活を支えたりちょっとだけ人とつながったりするための手段だから。うまくできたら、少しうれしいかもしれないけど、心の重い塊を払拭するほどのものじゃない。
トータル、生きていくのも修行かもしれないけど、ご褒美がない修業はもう飽きた。ご褒美=理解され愛されてセックスすること。自分が欲しいのはそれだけだし、何かやって褒められても、理解され愛されないなら私の人生には意味がないように感じる。
いつか、自分の心の重い塊の正体がわかって、幸せな気持ちが長続きするんじゃないかと思って、修行を続けてきたつもりなんだけど。最近は、ご褒美がこの後得られるようにも思えず、死にたい気持ちが強くなっている。
注記:究極、完全に自分が他人に理解されることなどない、ということは自分でもわかっているつもりです。でも、理解しあえた、と思えたらうれしいし幸せだし、それが完全にお互いの誤解ってこともないと思っています。
死にたい、死にたい。
ちゃんと、いろんなものを片付けて、死ぬ準備をしようか、と考えている今日この頃。