そんなに自殺に対して辛辣に当たらなくてもいいんじゃないか。
死にたい、とこぼしてみれば投げかけられる言葉は決まって一緒じゃないか。
「死んだら駄目だよ」
「親が悲しむよ」
「命を粗末にしてはいけない」
「生きていたい人たちが世界にはたくさんいるのに」
知るか。
要は、なんで自殺を頑なに嫌うのかが知りたいんです。なにがいけないんでしょう?
なんとなく、なのだったら早く安楽死をもっと身近にして欲しいんですよ。
こう色々と書いてますけど、実際に死にたいなんてこぼしたことはありません。
まあでも、実際そうでしょう?
話は変わりますけどね。
生きていればいいことがあるという言葉は嘘では無いと思います。
だって、長い人生何かしらいいことはあるでしょうよ。
でも、それの倍以上は辛いことが待っているんです。人生の、いいことと悪いことを天秤にかけたら、いいことをかけたお皿の方はすっ飛んで行きますね。
色々と試そうとはしたんですけど、ダメなんです。安楽死が許可されれば良いのに。それさえあればいいのに。
答えにくい内容なのは自覚してるからいいんですよ。唯、なんで自殺してはいけないという意見を持っているのか、いつからもっているのかを考えてくださればええんです。
読んでくれてありがとう。
名前のない小瓶
53024通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
私は瓶主さんと同じことを考えていてここに来ました。私は自分の人生、精神的にも肉体的にもあまりにも傷つきすぎて、もう限界だなぁ...。って最近本当に感じます。もうコップが満杯だ、って。解放されるには死しかない。これ以上もう生きてたくないと。本当に自分がこれが自分が人生で一番欲しかったものとわかった結婚と家族もやっと少し自由になった今、やっとそれがわかった今は、時間は残酷すぎて今更無理だし、祖母の介護終わって、今度は母の介護、それはしなきゃいけないんだろうけど、もう既に親より先に自分が死にたい気持ちも強くなってきています。本当に自分の自由が許されるなら、自分の意思でもう死を選びたいなあって漠然と。人生を楽しいと感じる人って、おそらく、私たちほどはトータルで傷ついてないんだと思います。私はいつもホロコーストと比べます。ホロコーストと、ホロコーストと比べれば、私は恵まれてるんだから...。とか。それくらいの辛さがわからない人には理解できないと思いますが、なんとか安楽死整備されて死を合法的に選択できるようになればいいなと私も思います。生きてればそのうちいいことが、とかっていうのじゃもう間に合わない蓄積ダメージ...。内面的話以外でも、自分の死体を自分ではかたづけられないから、安楽死が合法になってくれないと困ると考えてます。合法化されない場合、私みたいな独り身決定の人たちはみんなどうやって自分を片付けようと考えてるのかを本当に訊きたいと思っていました。老人ホームはおそらく費用が莫大でお金持ち以外は無理そうだし。少し前までは北欧のある国では自殺は美学みたいに言われてて凄く自殺が多かった、というのをNHKの真面目な番組で何年も前に見ました。自殺って環境や空気が生む面がありますよね。日本は隠しても隠せない自殺大国ですよね。私は人の自殺なら全力で止めますけど、自分を止める自信は無いです。人を愛するのは自分には凄く簡単なことなのに、なんで自分はこれほどまでに自分を愛せないのか、不思議でなりません。そう、結局、人生が楽しい人は、自分のことが大好きなんですよね。良い土台の上で生きられてうらやましいです。私は育った環境も悪いので自尊心やら自己肯定感やらは本当にぺらぺら。努力してもまだぺらぺらです。安楽死か、尊厳死のようなものは整備されてほしいけど、誰も自殺しないですむにこしたことは無い、ってのはそれは本当に普通にそう思います。長いし答えにもなってませんが。。。
ななしさん
人生に良いことばかりであれば安楽死が必要ないことにはならないので、良いことがある人生と安楽死はあまり関係ないと思います
最近は橋田壽賀子さんも安楽死したいと言ってますし
西部邁さんは多摩川で自裁死されましたし
自分で選ぶ死が悪いと思う人も少ないと思いますよ
ななしさん
自殺すること自体に良いも悪いも感じないです。それぞれの事情があるでしょうから。
ただ、こういうところに書き込む人は少なからず誰かに自分の存在を、生を認めてほしいという本心が隠れているというか駄々漏れているように感じるからみんな止めるんじゃないですかね?
本気で死ぬ気の人は何も表明せずにサクッと死んじゃってる気がします。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。