誰も助けてなんかくれない。そんなことは痛いほどわかってる。一人じゃどうしようもなくなったとしても、辛さや苦しさを隠して笑ってなきゃ必要ともされない。弱ってる時は頼るのに、周りが支え元気になったら用済みのようにゴミ捨てへ。みんな同じ、そうじゃない人はいなくなってしまう。世界が死ねと訴える。なのに、死のうとした邪魔をする。生きろと無責任なことを言うくせに、君は何もしない。次の人には気をつける? なら、私はどうなるの。そんなに止めるなら初めから裏切らないで。ああ、だれか殺してくれないか。自分じゃ失敗してしまうから。虐待、いじめ、裏切り、借金、殺人、どれかひとつで苦しいなら、それら全てを受けた私はなぜまだ生かされている?愛した人に置いてかれ。何に期待しろと。欲しいならくれてやる。こんな命喜んであげるよ。
ななしさん
自分軸が弱い人ほど他人に感化されやすく、はたまた流されやすく、自分を持っていないから。
そのような方は自分軸をきちんと持っていて簡単には流されない人を敵視しているよう。
しかしそれは自分にはない強さを持っている人に対しての単なるやっかみと、羞恥から来る感情である。そう自分は理解した。
人が誰かを敵視する感情は、主に自分にはない魅力があるからだと。やっかんだって、やっかんでいる本人の現状はそう大きく変わらないのにね。
辛いなら笑うな。辛いなら助けを求めろ。しかし、何があっても気にせず笑って普通に過ごしている人は、世の中をそもそも悟っているし、他人なんて所詮はこんなものであると分かっているし、それゆえ手強く、かつ強い。意志も強く、良い人からは実は尊敬さえされていたりする。性格の悪い人からは勝手に反感を持たれやすいが、気にしなけりゃいい。簡単な話だ。他人なんて所詮は他人だからと始めから鼻から期待などしていないのである。