『聞かれなければ答えない』を、両親に実行するのはそんなに咎められなければならないのか
私にも黙っていたいことはある
両親とて私に告げないことは多々ある
内情を知る妹弟との会話で違和感を覚え、私は省かれていたのだと理解したのは少なくなかった
でも、それを両親へと告げることだけはいつの時代の私もしなかった
幼心にも理解できていたことだけは過去を褒めたい
どれだけ憔悴しても自分を使って発散できていたからだ
ついでにこの自傷は、決して周囲の同情を買うためのものではなかったと明記しておく
伝えないことには理由がある、家族だからといってオープンになる訳ではないと思っていたし、今もそう考えている
父は言った、「お前のことは信用しない」と
ゆっくりと噛みしめるように話していたことを覚えている
自傷・いじめ被害・不登校、そういった類を総舐めした子供に、父は何も言わなかった
そして私も、家庭内暴力や成績悪化には手を出さなかった
私自身で解決するまで親に一切告げなかったことが悲しかったと、当時は言われたけれど、それらが積み重なり、見限ったからあの発言まで行き着いたのだと思う
昔、「お前は何も持ってないな」と私を称した父の鼻を明かしたかった
見直して欲しいだとか認めて欲しいとは思っていない、ただ私でも何かを持てるのだと思っていたかった
この気持ちだけは墓場まで持っていく
父はすっかり忘れていたし、解決しても私が得られるものは何もなかったから
せいぜい徒労感くらいだろうか
母は言った、「あんたが慕っていた爺さん(私から見て父方祖父)は、あんたの異常性や気狂いさを分かっていたから今際の際まで心配していた」と
祖父の最期に、母は立ち会っていない
それどころか面会すら行かなかった
その矛盾すら当時の私は気付かずに、泣きながら睨みつけるだけだった
優しかった祖父を自分自身の邪推で穢した、これでは母と同類だと自分に失望した
祖父を知る人々は「孫をとても可愛がっていた」と口を揃えていたのに、祖父の笑顔に泥を塗ったことが悔しかった
無実の罪であっても両親は疑い、断罪したことは多かった
しかし私は、それを説明する気力を持ち合わせていなかった
冤罪だと私自身が知っていればそれで良いと思う
何を言っても2人は信じないし、一度出た解を変えはしないと知っている、だから誤解は解けないし解かない
お互い、必要以上に話さなくなったのには理由がある
自分たちを棚上げし、私ばかりを非難するのは卑怯ではないのか
…これを伝えてみたい気持ちはある、でも私は言うのが怖い
いや違うな、本格的に見限られた場合を怖がっているらしい
また、諍いが起こらなかった思い出を回顧したから、父母をこれ以上落胆させたくないのだという下心を私は認める
だから伝える内容を吟味した
そのために生まれた齟齬に両親は気付いたからこそ咎めた
日にち薬とは思わないしトラウマを忘れられずにのたうち回るけど、私が張っていたバリケードを少しずつでも回収する時期が来たということなのかもしれない
そうしたところで目に見える変化を父母から得られないとしても、少しでも私が進めるなら試す価値はある
ひとまずは小出しにでもしていこうかな
期待した反応にならずに悄げる私が見える気がするけれど