※死にたいわけではありません。
どのように生きるか?
「生き方」だけが、論じられる世の中で、
「死に方」が論じられることは少ないです。
私に、死に場所が用意されれば、そんな気持ちでこの文をしたためました。
自分の話になりますが、大学受験に失敗し、所謂学歴コンプを患っています。大学時代は、それなりに努力し、身の丈以上の会社に入社致しました。
案の定、学歴がモノを言う会社ですので、社内では陽の目を見ない業務を淡々と行う毎日です。
甘えでしょうか、こんな日々が毎日続くのならば、いっそ会社をやめて転職をしようか?そんな考えもありますが、恥ずかしい話、その一歩を踏み出す勇気はありません。
そんな時、第二次大戦の日本の特攻隊に関する書籍を手にしました。特攻隊のパイロット、彼らは私と同じか、それよりも若い青年です。
大抵の人は、特攻隊は不幸だ、可哀想だと受け取るでしょう。不謹慎でしょうが、何故か私には羨ましく感じてしまいました。
特攻隊の方は短い生涯で、親兄弟、恋人のため、はたまた国のために、命を燃やして、今尚、後世の我々に、影響を与えています。
言い方が悪いですが、死に場所が与えられている。戦争という死と隣り合わせの状況が、死を身近に感じる分、生の力強さとなるのではないでしょうか?
話変わって、通勤時の駅のホーム、誰かが線路に落ちないか?そんな状況を頂けたならば、私はその人を助けて死にたい。
転職に至らない情けない私自身の、大きな矛盾に気付きながらそんなこと考える26歳サラリーマンです。
名前のない小瓶
56455通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
死に方を考えるには、まず生き方を考えなきゃならない。
ななしさん
死に方には、生き方が出る
名言です!!
ななしさん
死に方というのは生き方の先にあるもの、もしくは生き方の別の言い方であると思ってる。
特攻隊の人達だって、戦争がなければ死に行ったりはしなかっただろう。
ななしさん
特攻隊の方々も、死にたくて死地に向かったワケじゃない。
国や家族のためであって、自分が死ぬためじゃない。
それは、死に方じゃなくて、生き方。
冬
誰かのために死ぬ場所が欲しいとお思いなのでしょうか。
でも冒頭で死にたいわけではないと言っておられるので、誰かの役に立つことが生きがいという事でしょうか?
だとしたら死ななくても、今生きているのだから、生きたままお役に立つことは可能なのではないかと思った次第です。
矛盾はむしろ皆が抱えていることで、つまりはどちらでもいいってことだと感じてます。
ななしさん
あなたが模索しているのは、やはり死に方ではなく生き方だと、私には見えます。
死に方は、生き方なしには語れないからです。
ホームに落ちた人を助けて身代わりになる。
勇気の他に途方もない反射神経が必要です。あなたにそのスキルがありますか?代わりに死ぬにしても、スキルがないと成り立たない。
じゃあそのスキルはどこで身につけるのでしょうか。生きている内に磨くのです。
普段から体を鍛え、他人を思いやる心を鍛えているから、いざという時に素早く体が動くのです。
死に方には、生き方が出るんです。
多くの家族に嘆かれながら看取られていく人は、愛し愛された人生。暴言暴行、浮気なとまがたたって家族に見離されたおじいちゃんは老人ホームでひとりぼっち。悲しいことに自殺してしまう人は、助けを求めたり寄り添ってくれたりする人を得られなかった。
死は、常に側にあります。死ぬだけなら、誰にでもすぐに出来ます。腹を刺して出血したり、有毒ガスを発生させたり、それだけで人はあっけなく死ねるのです。でもあなたはただ死にたいでなく、死に場所が欲しいという。それがあることによって活力が沸くと。
だったら、特攻隊のような国全体が洗脳されているような時代ならともかく、1人1人生き方が違う現代においては、しかるべき死に場所を求める人ほど、しかるべき生き方を考える必要があるのでは。
自分が満足出来る死に場所を得る為にはどう生きたらいいか、生き方をもう1度考えてみるといいかもしれません。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。