烏羽
よくよく考えて見ると、多分どんな事をやったにせよ、何かしらの余地というか、隙間みたいなものはある気がする。
それはそれで普通の事なんじゃないかな。
もしも空っぽを埋めたいのなら、自分の中には空っぽもある、って認識する事、受け止める事でこそ、埋まる部分もあるんじゃないかと思う。
空っぽ、っていうスペースを確保すると言うか、空っぽでも良いんだと受け入れてあげるというか。
なんかさ、常日頃、ずっと死にたいなと思えてる訳じゃないと思うんだよね。
例えば、腹減ったと思う時は、なんか食べたいと思うだろうし。寝てる時はこれといって考えてないだろうし。
体を動かしたり、考え続けてれば疲れてもくるし。
ふと思った時、死にたいって言葉が目に付く時はあるだろうけど、意外と休んでる時は休んでたりするんじゃなかろうか。
わからんけども。
じゃあ、その時は何で空っぽな部分が埋まってるかというと、俺は別に何かで埋まってる訳でもないと思う。
埋まらなくても生きていられるから。特に問題はないから。
また、もしかしたら、気持ちというものが空っぽな部分を埋めているのかもしれないから、何も思ってない時は、何もないというだけなのかもしれない。
ただ、強いて言うなら、空っぽは自分の一部分かもしれないとも思うんだ。
だから、そう考えると、気付く事は無くとも、常に自分で埋まっているといえばそうなのかもしれないね。
そういう意味では小瓶主さんも普通というか、普く(あまねく)いる一人の人間だろうさ。
ややこしいけど、他の人が思っているかもしれないと想像した事柄を、その一瞬の自分は考えていなくて、浮かんでこなかったと認識して…
それを不安に思う自分がいたと言う事で。
そりゃあ疲れてたり、考えたい気分じゃなかったり、元気がなかったり、また、それらを抜きにしても浮かんで来ない事はあるだろう。
それに、そもそも死にたい気持ちを抱える事自体に疲れてきたのかもしれん。小瓶主さんじゃないから俺にはわからんがね。
けど、簡単に言うと、実は「死にたいな」と思う事も、未来の、先の、これからどうしたいか、という事なのではないかな?
普通の人というのがよくわからないが、小瓶主さん自身は、死にたいものとは別に、何かしたいとか、あの人がどうしてるとか、将来の事とかを考えたいと思うだろうか?
死にたい気持ちだけでは埋まらないものがあると言うのなら、苦でなければ、自分が過去に何かしたいと思って行動した事はあったか、思い返して見るといいかもしれない。
そんな大した事ではなくとも、息を止めて息苦しくなれば、息を吸いたくなるだろうし、眠くなれば寝たいと思う。
どこか痒いと思う所があれば掻くのだろうと思うし、大きな音が耳を貫けばうるさいと思い、耳を塞いだりその場から離れようとしたり。
そういった一瞬一瞬で埋まってきたものではなかっただろうか。
ご自身の小瓶や、俺やどなたかの返事を読むとして、その時に何も浮かんでこないと思う事もあるかもしれないが、つまりその時は「何も浮かんでこない」という気持ちで埋まっているんじゃないかな。
じゃあ、そう思う自分がいるとわかって、何か浮かんできて欲しいと思ったのであれば、それでその一瞬は埋まったという事だと思う。
ただ、まあ、揚げ足を取るようで悪いとは思うが、これからどうしたいか、というのは、湧き上がる気持ちの、受け身の面もあるんだろうけど…
行動したり、考えたり、そういう自分自身の動きがない限り、待ってても湧き上がっては来ないんじゃないかと思うよ。
だから、逆に聞くとするなら、何を思い浮かべたい?
もし、死にたい気持ち以外で、自分の空っぽらしき部分を埋めるとするなら、何で埋めたいと思える?
たとえ何も思い浮かばずとも、それを考えれば、その考えで一瞬だとしても、自分の空っぽらしきものが埋まるんじゃないかな。