実父にここまで信用されなかったのだと思うと笑えてくる
ただ、その矛先が分からない
父に信用されるに足る自分だったか、これまで幾度となく示された私への不信を知っていてなお父を信じた私自身への嘲りか
まぁ結論も結果も変わらないからどっちでも良いか
高校生の頃に(養護教諭をおいて縫合モノと言わしめた)自傷をしたのは英断だったと、再確認した
あれは父が『財布の残額が足りない』からと私の財布の中身を浚い、それを持って別の部屋にいた私に突き付けたという流れだったか
結局のところ数え間違いであり、冤罪だと証明した後も父が謝ることは終ぞなかった
その時の様子を、成人した今でも夢に見ることがある
何も考えずに抉るように切った
カッターを横薙ぎにして押し込んでいくだけの簡単な作業だった
だから、瘢痕が残った時にその幅の広さを実感できた
なかなか血が止まらずに養護の先生が慌てていたのを覚えている
登校中、自分の適当な手当てが制服の生地と触れるたび自罰感が薄れていくような気がしたものだ
さて、現在も取るに足りないことをきっかけに不信を目の当たりにして辛くなっている訳だけれどどうしたものかな
昔と違うのは自傷を我慢しなければならない点だ
父は黙したままだったけれど、実母や母方の親戚や担任からも騒ぎ立てられるなんて当時は想定外だった
心底げんなりした
だからいつもなら意図せずに怪我をして、それを自傷の代わりとするのがルーチンだ
お約束のそれに異論はないが、問題はそれをし続ける期間と傷の深さだ
つい先だって同じようなことが起こった時は『傷が足りない!』と半ば強迫観念に囚われた
また怪我を避けなくなるのだろう自身に下らなさしか感じない
でも傷がなければ八つ当たりしだすかもしれないからイーブンだ
私は物を壊したくないし周囲の人間で発散したくもない
希死念慮も自傷欲求もひたすら耐えることで得られるのは何だろう
我慢したところで父母が私を信じる訳ではないし、私はわたし自身の無意識下の暴走を傍観しているに過ぎない
死ねば楽になれると囁く頭の中の声を聞き流すのもそろそろ疲れた
それと同時に、信用を得るため色々とトライした自分へ笑いがこみ上げてくる、NDKというやつだ
「出来ない事を悔やむより 出来ることをするほうが 例え、それが結果に繋がらなかったとしても前には進めるわ」
…なんて言うけれど、私の場合は『前』がどこかも分からない
妹弟が信頼されているのを目にするたびに虚無感を覚える
声に抗えなくなったら、私は躊躇なく死ぬんだろうなと思っている