2つめの小瓶。
1つめの小瓶が無事に10人のだれかのもとへ届いたのを、今しがた知りました。
10名もの方が目を通してくださったこと。
小瓶を管理している方が、手作業で対岸へ流してくだざったこと。救われる思いです。
私は(まだ、自覚するのは難しいのですが…)虐待によるPTSDを抱えながらリワークを進めています。
そのリワーク先の事業者はみな親身にしてくれました。
実は体調をちょっと削りながら、それでも「この方々のために自分が役立てたら、嬉しい」と思ったのです。
ですがフタを開けてみると、職員同士の稚拙ないさかいの応酬でした。
ある日突然靴をどろどろに踏まれていたり、お給料明細や名簿の名前をぐちゃぐちゃに消されていたり。
酷暑の中、休憩を与えられなかったり。
それでも上辺では「ごめーん、気づかなかった!次から気をつけるね!」と謝られるので、「私の思い違いかな」と考え続けていました。
しかし、食事に虫を混入されたり、「こんな生意気な奴、殴られても仕方ないよねw天罰天罰!」など聞こえるように笑われたりと、「これは流石に故意かも」と思われる状況へ。
あっちの職員の顔色をうかがい、こっちの職員に他の職員の弁解をして戦争を回避して……
そうしているうちに、先日、解離性の発作で倒れてしまいました。
意識を取り戻しますと、点滴が繋がれ、看護師が安堵した顔で「お名前わかりますか?」と声をかけてくださいました。
「一緒にいた職員の○○さんは、早く帰りたいとおっしゃって、出ていってしまいました。ご自分で帰れますか?」とのこと。
仕事を割り振るときはおだてて、他の責務には目を瞑る体質といいますか、ああ、心の傷を受けた人の心理を掴むことなど造作もないのだな、と思ってしまいました。
上記の嫌がらせが去年2月に始まり、今に至ります。
細かな実情は控えますが、「限界を迎えてから人を嫌いになる」ループを繰り返している気がします。
「嫌なものは嫌と、無理なものは無理と、助けてほしいものは助けてほしいと、意思疎通のままならない人とは関係を持たない」ができるようになりたい、今日この頃です。
誰でも信じてしまいます。
「自分が頑張りさえすればきっと良くなるはずだから、もっと頑張らなきゃ。自分さえ我慢すれば皆面倒じゃないんだから。我慢しなきゃ。」
その結果、一人で溺れているのです。