苦しみってそもそもどういう性質のものか。
多分フックを引っ掛けると増幅するような
仕組みになっていると思う。
だって眠っている間、意識が他に移った瞬間、
苦しみはいとも簡単に消えてしまう。
そんなものに揺さぶられる日々。
苦しみは本質ではなく、それを守る第一シールド
という感じではないだろうか。
その上に色んな意味を付け加えて、本質から
どんどん離れていく。
苦しみを取り去ると、純粋な子供のような、
輝いて温かくて居心地のいい、ワクワクして、
冒険や夢や自由が詰め込まれた宝箱のような
本質がある。
そんな大事な愛おしい領域を汚さないように、
苦しみがある。
そういう構造であるのをすっかり忘れている。
そして、これが思い込みであることに気付かない。
苦しみというシールドがなければ、
本質が侵されてしまう。
この本質はおそらく、個人の範疇を超越している。
苦しみという個人的なエネルギーで
守れるようなものではない。
いつのまにか、苦しみが本質であるかのように
錯覚して、肝心の本質、感性、インスピレーション
のようなものを、夢物語として追いやっている。
真実を見てと何度も教えてくれているのに。
そのために苦しみがあるのに。
目覚めよう。