私は毎年、年内に達成できなかったら何かペナルティを受けるという縛りをしています
私は人として強くなりたい、知識もありコミュニケーション能力もあり、何事にも動じない精神力がある人のように。
そのような人になるために目標というよりは縛りに近い、自分を追い込むようなことを毎年しています。
ですがこの考え方はとても愚かで、苦しそうだと友達に言われました。
そんな事自分でもわかってるんです。
でもそんな考え方しかできないんです。
こんな考え方やめたい
しかし、そんな考え方じゃないと行動できないし、達成できない自分がいます。
この話を最後まで読んでくれた方、
私の考えを否定し、ボコボコにし、二度とこんな考え方をしないようにして欲しいです。
どうかよろしくお願いします。
ななしさん
ペナルティというのは、とても甘いシステムだと思います。
例えば「仕事でミスをした日は、夕食を食べない!」というペナルティを自分に課している人がいるとしますよね。
これは追い込みではなく、逃避なのです。
「夕食を食べないことで、仕事のミスを(自分の中で)帳消しにする」という逃げ道を、あらかじめ用意しているに過ぎないのです。
目標を達成出来なかった時に自分の心の中に生まれる劣等感や罪悪感、危機感。
自分を奮い立たせるものは、本来それだけで充分なはずです。
むしろ、ペナルティがなければこれらの気持ちが煽られないという状態の人は、何をやっても自分の満足いく成果は出せないと私は思います。
「人として強くなりたい」とありますね。
あなたが思う強い人とは、ペナルティがないと頑張れない人ですか?
誰も見ていない、ペナルティがない状況なら平気でサボったりポイ捨てしたりする人でしょうか。
何の罰ゲームがなくても、自分との約束を守れる人。
あなたが目指す人とは、そういう芯がある人ではないかと感じますが、どうでしょう?
ペナルティによりどころを求める限り、あなたが望む姿には、おそらくなれない。
今まで達成出来たことがあっても、それはペナルティのおかけで、自分のひたむきさを貫いた結果ではない。だからいくつ達成しても自分が変われた、強くなれたという実感がなかった。
そんな風な感覚でいたから、毎年繰り返しても、あなたはいつまでもいまいち自信が持てないままだったのでは。
ペナルティではなく、自分が決めたという信念やプライドを支えにして頑張れたら、達成する上での過程も結果も、周りから見える「努力する主さん」の姿も、きっと違うものになります。
信念で動く人は楽しそうです。苦境の中でもどこかワクワクと、未来に希望を描く顔をしています。あなたがそんな顔で過ごしていたら、お友達も心配しないと思いますよ。