1日なにもできずに終わっていく。
大学に行かないと、という気持ちはあり、翌日の着替えや持ち物も前日に用意して就寝。不眠のため薬を服用するが効果は日によってまちまち。目が覚めて起き上がらないといけない時間になると起き上がれなくなる。
恩師に恵まれ、単位認定に配慮を受けられるようになったことをいいことに1限や2限、場合によっては全日講義を休んでしまう。
医師や恩師・友人、家族からは頑張りすぎだと言われるが、その言葉に値するほど努力できている自信はない。むしろその言葉に甘え、堕落しているような気がする。
自分の体や気分がコントロールできなくなる前のように戻るには一体どのくらいかかるのかと考えると気が遠くなる。
戻るための努力より、死んでしまった方が楽な気もする。
しかし、私が死ぬと家族が困る。大学の人間が困る。過去に教え子が自殺したことを悔やんでいる恩師に再びトラウマを与えてしまう。何ともないようで重たく感じる理由から「死んでしまいたい」とは思わない 。
その代わりに「消えてしまいたい」と強く思う。家族や友人たち、恩師の記憶から私の部分だけすっぽり抜き去ってしまいたい。存在をなくしてしまえば誰もなにも思わずに生活していける。
しかしこれはとても非現実的で、あり得ないことだとわかっている。
だからせめて、毎日報道される殺人事件や交通事故、テロの被害者が私ならいいのに、と思う。意図的に行動を起こす彼らにとって、対象は誰でもいいことが多いと感じる。不幸にも対象になってしまった人々は未来を持っていることだろう。そんな被害者の1人と私を入れ替えられたらいい。加害者とも利害の一致だ。
そんなことも妄想の1つであるから、なかなか実現しないだろう。それにやっぱり死んだら周りに迷惑がかかる。非現実的でもどうしても望んでしまう。消えてしまいたい、と。