小学校に入る頃前後から、30目前に至る今までずっと母に対して嫌悪感しかない。
幼い頃から、NHKが私の遊び相手で、私と向き合ってくれた事はない。妹が出来たら妹の面倒は私が見た。母は妹を猫可愛がりするけれど、宥めたり嫌なところは私が請け負った。私は猫可愛がりされた事は無い。
父の愚痴、妹の愚痴、祖母の愚痴を私に言ってくる次の瞬間には、私の愚痴を色んなところで言っていた。家庭内で愚痴を聞いてあげるのは私だけだったからそこしか居場所がないと思っていたけど、父が形だけちゃんと母の話を聞くようになった。
私はトロくて、頑固で、直ぐ母のレーダーに引っかかってしまう。父、妹の不始末まで全て私のせいになっていた。私よりだらしない妹にはぶつぶつ言いながら可愛がっていた。妹が同じ事をやっても絶対妹には言わないような事を私にはよく言っていた。私は目の敵にされていたのだと思う。
私にも妹にも、無神経な物言いが多く、感情的。霊的な物を信じているからか、論理的では無い。突飛な物言い、左翼的な物言い、かと言えばヘイトスピーチ、差別的発言が日常的。極所的神経質かつ見栄張りで、意味不明なマイルールが多く、それから逸脱する事が許されない。しかもそのマイルールが一貫しておらず自分の都合の良いようにその場に応じて改変される。
母は教職の仕事を始めたけれど、毎日イライラして帰って来てヒステリックに喚いていた。私や妹がいじめられても必ず「あんたが何かしたんでしょ」と声をかけて来た。引き出しの中も良く物色されていた。母は私や妹の話を仕事先で話、近所で話、友人親戚に話をしていた。私や妹のプライベートがなかった。道端でも知らない人が声をかけて来る。自分な事を知られない権利がなかった。
教職の仕事は、歳下相手でお山の大将だがやる事は多く持ち帰って仕事をしていた。社会的常識が曖昧な職場なので、母も例に漏れず社会常識が育っていない。ニュースを見ながら独特かつ唯我独尊過ぎる持論を展開してドヤ顔をする。
母が私に自分は出来なかった事をやらせてあげている、自分には出来なかったけどあなたは直した方が良い、自分には無理だけど貴方なら出来る、と上辺だけ言われて過大な期待を抱かれていた。反抗期は酷かった。母とは別の人間である事、理不尽さ、全身全霊で表現したが、母は私のせいで病んだと未だに言って来る。産まなきゃ良かったとも一度言われた。私も頼んで産まれたわけじゃない。
私は母に愚痴っぽいと言われた。聞きたく無いのだそうだ。母の愚痴を聞かなかったら粗を探され突っかかられるが、私が愚痴言ってはいけないのだと思った。自問自答するのようになった。この世の全部、しょうがないと思うようになった。
彼女は母親業と教職業の仕事の境界線が曖昧で、家でもずっと先生だった。中学高校では母が教えた生徒から私の話、妹の話を聞いた事、母の悪口をよく聞いた。恥ずかしくて仕方なかった。あのおばさん先生と呼ばれていた。意味がわからないところで怒り出すと言われた。そうだね、ごめんね、と答えた。
大学時代は家から出た。妹に過干渉し出したと妹から愚痴が来た。妹には私と母の不仲を見せた上に、よく支えてくれたので、守れず申し訳無かった。自分も家を出たいと頻りに言っていた。妹も進学で家を出た。
大学時代に母と軋轢のある女性が沢山いる事を知って楽になった。いろんな人に会って母程意味不明な人間も滅多にいない事が分かった。誰に会っても母よりマシだった。それでもプライベートに踏み込んでくる人は拒絶した。就職もUターンしなかった。偶に帰ると話すだけで尋問されている気分になった。何を答えたら彼女の逆鱗に触れ、何が拡散されるのか気が気ではなかった。地元の友達は全員切った。人を信用できなかった。
自分も他人にイライラしてしまうから、友達はなるべく作らないようにした。余計な事を言ってしまうのではと思って言葉少なに余り話さないようにしている。
母にそっくりな人を好きになってしまった。短気ですぐキレやすく、マイルールが多い人だった。常識が少し足りない人だった。それでも論理的な人だった。結婚して上手く行くかよくわからなかった。結婚して子供も産まれて復職したら子供の前で殴られるようになった。
子供は可愛いけれど、元々子供好きではなかった。それでも自分の子供は可愛かった。でも次女や次男を作るのは怖かった。同じことが起こるのかもしれないと思っている。母程拘りが無いけれど、母より酷い母になるのかも知れない。子供を作るべきではなかった。
夫が殴る事に抵抗が無くなったようだったので実家に帰らざるを得なかった。母は歓迎していない事を遠回しな表現でよく言っていたし、私の事も早速出戻りと拡散した。母はお前がそんな性格だから夫と上手くいかないんだと言われた。私が殴られるような事を言ったんだと言われた。私(母)の家だと言われたし、この家も将来妹にやるからゆくゆくは出て行けと言われた。
彼女はそれでも私が心配で愛していると言うが、私の夫に対する怒りは大事な娘を殴った事ではなく、自分や母方親族に働いた非礼について怒っていた。私には夫婦喧嘩の末の離婚でしょ?我慢が足りないだけだと言う。自分は殴られた事がないから、わからないとも言われた。
父は昔から頑張って私と母を調整しようとしてきたがやり方がズルかった。自分の都合の悪い部分を私に押し付けたまま、私の気持ちは理解した上で、私に我慢するよう言うだけだったし、母にも同じように言っていたのだろうなと思う。ただ父も母のヒステリーには辟易していたし昔から妹と一緒になって父を可哀想だと思っている。
毒になる親を見聞きした。2人とも当てはまった。母は7〜8割、父は4割。父母は理想的な夫婦だったと思う。でも理想的な親には程遠かったんだなと思った。普通の人間、普通の親を調べた。演技したいと思っているけど、多分根本がこの2人だから無理がある。
離婚は成立していない。夫は殴った事を私に謝って、今カウンセリングに通おうとしている。夫は鬱だったそうだ。正直興味がない。再構築したいそうだし、私と母が合わないのを知っていて、実家にいる事を心配している。でも夫と一緒に住めるとは思えない。夫を嫌いになってしまった。母の事も生理的には無理。
娘の相手もできない。娘は可愛いが、私を嫌いに育つんだろうと思う。
いろいろどうでも良くなってしまった。娘も夫に任せた方が幸せになれるだろうし、間違ってもあの女に育てさせるわけにはいかない。今日夫に会って娘を会わせて引き渡したら、私は消えたい。