烏羽
(長くなります)
すまんが、どうしたらいいと問われてもな。
生きてるもんは仕方ない。
今更、生ある身の上、死ぬ訳にもいかんしな。
まあ、親父さんが躁鬱になりたてなのか、診断されたすぐなのか解らんし、躁鬱のどちらか一方に偏ってるのか、交互なのか、症状がどうなってるのかは解らんが…
症状があると知ったショックから気が動転して、暴言を吐いてしまう事もあるだろうと思う。
躁鬱の躁は、言わば元気というのか…、エネルギーが有り余って、制御しきれず溢れているような状態といえば多少はわかるだろうか。
気分の高揚、あるいは怒りの感情じみた程の明るさ、行動の積極性の強化、というのか。
で、鬱はその反対…というと語弊があるが、それに近い感じだと思う。
多くの感情や、行動への積極性が抑制され、気力を出したくても出ず、劣等感や絶望感、自分を責める気持ちに囚われる。
躁と鬱が交互に来る場合、躁状態の時から、鬱状態の時の落差というものには、自分自身である程度自覚がある事が多く、躁鬱でない、いわば正常というのか、中間と言うのか、そう言った状態になる事もあり、その時そこでショックを受ける事もある。
また躁状態の時の自覚が、ある程度あることで、その後悔や、自覚できる躁鬱の落差から来る、自分への失望感などが鬱状態に現れる事が多いように思う。
そして、躁状態では、またその落差や上手く行かなさから怒るような場合も多くある、のではないかと思う。
親父さんが放ったその言葉が、躁状態の中、怒りに任せたように、放った一言なら、現実の要素は混じっていようとも、衝動的な感情で、いわば、第三者から見ると、曲解してしまったが故に放たれた言葉と近しいものになる可能性が高い。
確実な事は解らんが、親父さんの状態が躁状態なり、パニック状態に近いものなら、鵜呑みにする事は出来ない。
なので、親に言われた言葉は、子供の立場として強く心に響くのかもしれない、容易く忘れる事が出来る訳ではないとは思うが、完全には鵜呑みにしないほうがいいかもしれない。
ついでに言うと、俺の知識も大したものじゃないので、興味があれば、一旦、小瓶主さんご自身でも、躁鬱病について調べてみてもいいかもしれない。
病院のホームページ的な場所に載っている事もある。
…話を戻すと、小瓶主さんにも、怒った時、あるいは怒られている時に、とっさに相手を非難したり、とっさに言い訳をして難を逃れようとした経験はないだろうか。
いわば、親父さんの言葉は、その状態(をさらに強めた状態)で発せられたものと、似たものの可能性が高いかと思う。
自分自身それに近い症状になった事もあってか、多少解るような気はするが、確実には解らん推測なので、可能性や、らしい、思う、という表現を多用している。
申し訳ない。
ただ、少なくとも責任感や愛などが親父さんに微塵もなければ、番い、夫婦になり、主さんの下に兄弟など出来る事もなかったのではないか?
親父さんの肩を持つ訳ではないし、小瓶主さんに同情してあげて欲しいとも思わないが、もしも親父さんが、症状との戦いの中で、一瞬でも立ち直るような事があるならば、それは心得て置いた方が良いかもしれない。
だが、まあ、親御さんの事は置いとくとして、今まで小瓶主さんは、生きる意味を感じて、それに基づいて生きてきた事はあったか?
確かに今は失意の底、元気のなさを感じているのだと思うが、多くの場合生きる意味を元に生きていた経験は、無いのではないかと思う。
であれば、生きる意味に縛られる事はないし、生まれてきたから生きている、元々それ以上の意味はなかったのかもしれん。
例えなくとも、気がかりなら、生があるなら、これから見つけようとする事もできる。
その場合、いわば、探す事が生きる意味になるのかもな。
まあ、しょうもない事を言ってしまえば、あなたがそこにいるという事そのものが、そこに生きている事の意味だろう。
楽しいとか辛いとか、神様の試練だとか、そんなものではない。
あなたがそこに存在しているという事が、あなたの生きている意味、中身だ。
それ以上でもそれ以下でもないんじゃないかな。
その上で、何をしようとするか、何をしたくないとするか。
苦難があるとすれば、乗り越えようとするか、逃げ延びてでも生きようとするか、はたまた誰かと協力するなど、様々な事を考えたり、選ぼうとしたり出来る。
もし、多少なりとも、時間が経つなりで心が落ち着いて、またこれを読む事があるなら、生きる為の意味は知らんが、先において、したい事を考えてみてはどうか。
漫画やゲームでもいい、美味いものが食べたいでもいい。
何気なく、綺麗な景色が見たいでもいい。
生きる意味かどうかは解らんが、してみたい事はあるんじゃないか?
気掛かりな事はあるだろうが、今はゆっくり、休める時に、しっかり休んで欲しい。
ショックな事や、大きな辛い事がある時は、考え事も、良くない方向に引っ張られがちになる事が多い。
せめて少しでも休んでから、ほんの少しだけでも落ち着いたと思えたら、もう一度考えてみて欲しい。