小学校の3、4年生くらいまでは普通に話せた
んです。
人見知りではあったけれど、周りの目だと
か、自分の発した言葉を相手はどう捉えるだ
ろうかとか。
そんなこと考えずに、普通に友達とか先生と
かと話が出来てました。
けど中学校に入ってから、周りを気にしだし
て、思春期だからとか、そういう理由じゃ片
付かないくらい、人の輪に入ることが出来な
くて、次第に怖くなってしまいました。
高校生になっても変わることはなくいまだに
怖いです。
自分で言葉を発するとそれに対して後悔する
ことが多々あります。
入った部活で話を聞いてくれる優しい先輩に
出会って少し気が楽にはなりましたが、それ
でも完全に吹っ切れることはなかったです。
けどこれを誰かに言ったら結局自分が原因だ
ろ、だとか言われそうで誰にも言えないんで
す。
わかってるんです、自分でどうにかしないと
いけないことなんて。
出来たらこんなに苦労しないんですよ。
人の輪に入って頑張ってみても、謎の孤独感
に耐えられず結局耐えられなくて自分から出
ちゃうんです。
もうどうしたらいいのかわからないんです。
すみませんこんな重い話をしてしまって。
ななしさん
私も、自分が他人の言葉を気にするから、他人に言葉をかける時に、すごく言葉を選んでしまって、考え込んでしまいます。余計なことを言わないように、言わないように、と思っていたら段々人と話せなくなりました。
傷つけたく無いし、傷つきたく無いのに、苦しいですね。でも他人て、そこまで内容や言葉を気にして話していないし、本当は、そこまで気にして話さなくても良い事は、少しわかって来ましたが、それでも長年の癖は治らないです。
多分、幼児期の承認欲求を満たすための時期や、成長過程で必要な愛情を与えられたかどうかが、関係しているのだろう、と私は最近、自分の中身を分析しています。貴方はいかがですか?
親に共感されなかなったり、認めてもらえなかったり、話を聞いてもらえなかった子供は、話す能力に多少の難が出るそうです。私は寝食衣はありましたが、情緒面でネグレクト状態で育ちました。自分の考えを封殺され、共感も承認も与えてもらえず、ただそこに居ただけでした。自分の行動のみでしか親の承認を得る事が出来ませんでした。私は空っぽな優等生でした。
悩んでいると、自分が分からなくなるので、自分で自分を理解してあげる作業が、まず大事なのかなと思っています。自分の子供に、自分と同じ思いをさせないように。
花が咲いて嬉しい事、アンパンマンのお話を考えた事、おやつが大好きな事、節操なく話をしてくる子供を見ていて、鬱陶しさもありますが、嬉しいと感じています。
「親の感情を言葉で表現し、子供の感情表現を助ける」。これらは、育児書やたまひよ等でも、簡素に書かれていますが、育児の上でとても大事な事だと思うようになりました。嬉しいと思ったら、嬉しいと伝えるようにしています。
貴方が感情を小瓶で表現した事で、貴方にとって良い方向に向きますように。