内気だったり口下手だったりするのって、どうして社会の中で下に見られるんだろう。
今日、とある心理学者の書いた本を読んだ。引きこもりがちだったり、なにかと社会生活が苦手な人についてあれこれ分析してるという内容だけど、読んでてていやな気持ちになってしまった。その本の中では、正常な人がどうやって立派な大人になるかというのを説明して、引きこもりだとか病気になってしまう人の場合は、親の養育とか友人関係のこういう段階でつまづいて未熟なまま育ってしまう、というような書き方をしていた。
なんだか人の正しいあり方はこういうもので、そういう形にしか価値がないみたいに読めて、とても傷ついてしまった。自分には前々から誰かとても優しい人に甘えたいという気持ちがあって、そういう人がそばにいてくれないと人生に価値がないというふうに考えていた。けれどその本では、そういう気持ちは子供のうちで決着をつけておくべきもので、そのあとはもっと大人らしい目標を持って生きていかなくちゃいけないとあった。自分としては、幼児帰りみたいな願望をいつか満たせるかもしれないという希望があるからなんとか生きていようと思えるのに、それが全否定されて絶望的な気分になってしまった。
その本ではだいたい全体的に、そういった甘えだったり、内気な性格は克服すべきものだという主張だったけど、そういった傾向がそんなにまでうとまれているというのが僕にはすごく窮屈に感じる。無神経で平気で他人を傷つけるような人が明るくて社交的だということになっていたりするのに、せいぜいその人たちと同じくらいにしか社会に迷惑をかけていない内気な人が成長を強制されるのはとても理不尽だと思う。
今の世の中どんな性格が病気扱いされるかわからないけど、大抵は非社交的な人ばかりが割りを食って、どんなに思いやりのない人でも社交的ならなにも問題視されないのがすごく悔しい。
ななしさん
私はその学者さんじゃないので、自分が考えてることだけ。
内気とか口下手な人って、その分周りが話を聞き出そうとしないといけないでしょう。それが敬遠されるんだと思うんだよね。
そもそも最初に話し出さないから、まず「あなたはどう思う?意見がある?」とか「これでいいかな?何か嫌だったら遠慮なく言って?」て話を振らないといけない。
そして話し始めても要領を得ないから、相手が「それって○○って意味?」とか「○○をした方がいいってこと?」など細かい補足をしないといけない。
更に、内気な人ってそういう補足されるのを「私って話下手なんだ…」とか「うまく伝わらなくてイライラさせてるかも、どうしよう…」とか勝手に落ち込んでしまい、ますます話さなくなってしまう、ますます周りが困る、て悪循環にもなりやすい。
こうやって、相手に負担をかける部分が多いから「そういうのは困る」て言われちゃうんだと思う。
人はお互い様だから、自分も助けてもらっているならそういうフォローも苦にならないけど、内気な人って不安や自信がないから相手を助けるような積極的な発言や行動はあんまりしないし、何か気を利かせるのもやっていいかわからず躊躇ったりするから、結局いつも相手が一方的にフォローして気を使っているような状況になる。
そうすると相手が疲れてしまうんだろうね。
あと大きな勘違いだと思ったのは、「無神経で人を傷つけるのが明るく社交的ということになっていたりする」てのはさすがにないよ。
それは多分、同じように性格悪い人同士がつるんで楽しそうに騒いでいるのを見て「あの人にはあんなに友達がいる。楽しそうだな、世間的にはあれが社交的で好かれているってことなんだ…」とあなたが思い込んでいるだけ。