僕は異常なのかもしれない。
9ヶ月前に僕は祖父を亡くした。
看取ることは出来なかったが、その日で一番体調が優れていた時に最後となる会話を交わした。
「お爺ちゃん元気?僕は勉強頑張ってるからお爺ちゃんも頑張ってね。」
僕がかけた最後の言葉だった。
その時、沢山のチューブに繋がれた祖父の姿を見て心を刺す痛みがあった。
涙が目に滲んだ。
けれど、祖父に関して涙ぐんだのはこのときだけだった。
祖父が亡くなり連絡を受けたとき、妹は号泣。
兄は平常を装っている様にも見えた。
しかし僕はと言うと、涙も何もなかった。
嬉しいわけでは絶対に無い。
祖父はとても優しかった。
それなのに、葬式でもそのあとでも涙を目に浮かべることは一度もなかった。
僕は、苦しい思いをして生きている祖父に同情したんだろう。
けれど亡くなった時に泣かないグズが居るものかと自分に酷く落胆した。
今でも祖父の事を考えるし、寂しくないはずがない。
けれど祖父の前で手を合わせる度にこの事を考える。
自分の情けなさに涙が出そうになるほどに。
僕は異常なのかもしれない
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ななしさん
異常じゃないよ。
自分も、ちいさい頃からずっと同居してた祖母が、臨終のとき、亡くなった後、葬式の時、すべてにおいて涙の一つも出なかった。
妹とか親戚の人とかは号泣してたけどね。
別に鬱病とか、祖母にひどい目にあわされたとか、特別の事情もない。
でも不思議と、あーもういないんだ位にしか思わなかった。
身近な人が亡くなったのに、涙も流さないなんて冷たいとか、ひとでなしとか、世間の勝手な言い分だよ。
どういう悼みかたをしようと、その人の心の自由。
人に見せびらかすために、亡くなった人を悼むわけじゃないんだからさ。
だから情けないなんて考えずに、おじいさんの事を思い出して懐かしんであげて下さい。
ななしさん
そうなのかな?
悲しすぎると涙も出ない、って言うよ。
あなたはもしかして、おじいちゃんの死を心がまだ受け入れられていないのかもしれないね。
いつか心がそれを受け入れたとき、涙が癒してくれると思います。
異常じゃないと思います。
人が亡くなった時、必ずしも涙を流す訳では無いと思うのです。
それは例えば故人との関係性からだったり、あなたが感じた同情だったり様々です。あるいは我慢しているかもしれません。
必ずしも涙を流さなくても、亡くなられたお爺様を偲び手を合わせている、それだけでも十分だと思います。
ななしさん
割と普通かもしれない。
むしろそうやって悩むことに健全さを感じる。
私も祖父母の死に際して涙は出なかった。
大変お世話になったし敬愛もしていて悲しかったけれど。
病室で管に繋がれ苦しそうに弱っていく過程を見ていて、
やっと楽になり苦痛から解放されたのだと感じた。
あなたのかけたその最後の言葉はいい言葉だ。
貴方の心は伝わっているでしょう。
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