ななしさん
正しい努力、という言葉をどのようにとらえるかによると思います。あなたが言っているのはおそらく、正しいという言葉が運命という類いの言葉と同じような使われ方がなされていて、それを指して不合理を感じている、と推察します。違っていたらすみません。
ちなみに運命。もし運命を変えたとしても、結局それも運命だった、で解決できてしまうたいへんご都合主義な言葉です。もう無敵の後出しじゃんけんみたいな言葉です。でもこの社会に生きる多くの人はそういう言葉や観念の持つ矛盾や曖昧さを考えず、正しさ、を前提に物事を話します。自分のいった言葉は他人と無条件に共有されるという思い込みのもとにです。
それを押し付けられて反発するのは、ある意味では聡明さの萌芽のようにも思えます。でもその聡明さを維持し、大きくするのは物凄く大変です。なぜなら盲目的な正しさを前提とせず、多くを自力で考えなければならないからです。言われたことをただ真に受けたりしているのではなく、単に誰かの正しさを否定するのでもなく、です。これはとても骨のおれるたいへんなことです。しかも誰も教えてもくれません。めい一杯頭を使い自分で学ぶしかないのです。普通はむりです。
でも、そうなのです。おそらく本来の正しさとは、そう言った意味において個人の中にしか宿り得ないものだと私は思います。
なので、もし、これからのあなたが自分なりにそれを考え、養うことができたなら、その時にまたこう言えばいいと思います。
間違いなんてなかった、と。