自分がいても居なくても変わらないんだろうなって事に気付いた。それなら死んでもいいやって強く思うようになった。今丁度辛いから尚更死んだらいいんじゃないかって思う。
更に自分がどうでもよくなってリスカをバンバンするようになった。止められない。食欲もなくなって大してご飯を食べなくなった。学校にいる時とか何も食べてない。
怒りや悲しみが自分に向かうのは前から度々あったけど、最近は外に向かいそうになるから怖い。壁を蹴りたくなったり、物を投げつけたくなったりする。実際にやった事はないし、これからもないとは思うけれど。でも何度もそうしたい衝動に駆られる。
ストレスの原因だと思われる事があまりにもしょぼくて、今後私は社会でやっていけるのだろうかと不安になる。なんかもう自分が全部いけないのではないかと思う時もある。そう思うとやっぱ今のうちに死んどいたほうがいいかなと思う。
もうどっかに消えてしまいたいとも思うし、とにかく学校には行きたくないし。かといって家も家で色々ある。毎日学校が嫌だとか考えないようにして、なるべく心を無にしようとして辛い事に耐え続けながら生きているけれど、これがこの先もずっと続くのだろうかと思うと死んでしまいたいと思う。
誰にも理解されないのも辛い。1人でも理解してくれる人がいたらもう少し楽になれたのではないかと思うけど、そんな人いないし。
どうしたら少しでも良くなるのかわからない。日に日に悪くなっていっている気がする。どうにかしたいって気持ちがあっても、何をしたらいいのかわからない。
ななしさん
苦しい感情が読んでいて辛かったです。
私よりもずっとお若いのかなと感じながら拝見しました。
社会が幸福と言っているものは、ただの虚栄だと私は考えています。何が叶ったら幸せなのかを自分で考えなければ分からない。
こんな社会はこれでも多数の人の幸せを選んで作られたものです。多数の幸せの上にある社会では多数に入らなければ
幸福すらも空気で読めよと訴えかける。
私は子供の不登校を経験したとき否定しませんでした。
もう歩けないのだなと思った。
子供がメチャメチャに当たり散らして
夫婦で部屋を片付けたこともあるけれど
今は笑って話すほど
人並みに優しい子に育ちました。
大声で暴れる子供に「私たちはあなたの味方だ」と叫んでいた日が思い出されます。
人間の発想力、言わないけれど抱えている疑問にこの社会がついて行けていない潜在能力が含まれているように思う。
分からない事が分からない、多くの人がそれを見ないようにしてアイデンティティから消し去ってしまう。
探せば多くの人たちが本の中に、自分の疑問や不快感の正体を残していってくれています。
自分で解決していく日々は小さな事ばかりだけど
考える価値、生まれた事を証明する唯一価値のあるものです。