これまでにいくつも作品を書いて参りました。一年も経ってはいませんが、字数も少ないながらに十万、十五万と作品および文字数を積み重ね、さまざまな世界線における彼らを書きあげました。私なぞの浅い考察では生を得たかの如き彼らを文字にて表すことは不可能ではありましたが、それでもどうにかこうにかやってきたつもりです。他人の褌で相撲を取るようなことではあるけれども、精一杯に打ち込んできたと思っています。
褒められたことも無論ありました。拙作を好きだと言ってくださる方もありました。
ただ、その数がいよいよ無にも等しくなってしまったことが私の脆弱なる創作精神を砕破せしめたのです。
意欲がない訳はありません。ひと夜ひと夜を迎えるたびに文章ばかりがあれやこれやと瞼の裏へ現れ、筆を取らずには眠ることも儘ならない性分ですから、たとえ私が老い朽ちて骨になったとしてもまだ筆を握っているのだろうと思います。
しかし、至らぬ私はどうしても他者からの評価を欲さずにはいられないのです。誰かに文章を読んでほしい、承認されたいと願ってはそれの叶わないことに爪を噛み、今度こそはと挑んでみっともなく泥に塗れることを幾度も繰り返してしまいます。
頑張って、頑張って、精神を病み肉体を病もうともひたすらに書いて参りました。この世界を広げる一助になればと願いました。人の少ない世界を大樹とすべくただ書いてきたのです。少しでも好きになってもらえるように、己が趣味嗜好に走ることもあれど誰かをこちら側へ呼び寄せられる作品を書きたかったのです。努めてきたつもりでいました。
もう私は要りませんね。
いくつもいくつも書きましたが、褒め言葉をそれぞれにひとつ頂くか頂けないかで誰からも認められませんでした。
いいえ、私の作品のうちいくつかは褒めていただいたと記憶しております。しかし私は恒常的な賞賛を求めてしまったのです。そも私の文章では賞賛など夢のまた夢だとは知っておりますが、それでも、少しでも長くその夢中夢を見ていたかったのです。
認めてもらえるならば、彼らを愛する方々が喜んでくださるのならば私はいくらでも書いたことでしょう。
今の世界がまだ狭いものと思って必死で淵を拡げてきました。それが元から私の役目ではないと知っていても誰ぞがやらねばならぬと思ってやってきました。
最初から不要だったのですね。
私よりももっと優れた方があまた居られる中で書いて認められたいと思うのは我儘でしたね。
もう身を引くべき時期だとは思っていますが、せめて最後にふた月ほど頂けませんか。枯れ木も山の賑わいと申しますが、枯れ木にさえなれず消える私を哀れんで僅かな間だけ見捨てないでいてはくれませんか。
最後に一冊、本を書きたく思います。私が確かにここにいたという証を形にして残させて頂きたいのです。
たった一人二人であれども私をまだ見ていて頂ける方々に差し上げられるだけの数を刷って送って、それきり戻るまいと思います。
どうか、許しを頂けませんか。
ななしさん
それだけ熱中出来るのは凄いですね。
狭き門にはまらなければ、一般的な仕事であれば簡単に成功(お金を稼ぐ)できたかもしれませんよね。
私は小説を読むのが好きですが、難しい文章(個性的過ぎる)は途中で読めなくなります。
古文を読んでいるような感じで、文章の解読に精一杯で場面が思い浮かびません。
小瓶主様に読み手としての小さな意見ですが、癖が強く読みにくい。
読みやすい文章の中に、独特の言い回しや、著者の特徴が少し入っているだけでセンスを感じます。
しかし、この小瓶の短い文章でも全文(特に後半気持ちが入りすぎているのか)くどすぎて飽きるというか、読むことが作業になり世界観が膨らまなかったり、言いたいことを考えながら読まなければならず入り込めません。
もしかしたら、作品は全く違うものかもしれませんが、感じたままの意見を書きました。
最後になるかもしれないと言うことなので、存分に腕を振るってください。