何も不満なんて無いはず……。
生活は満ち足りていて、欲しいものも手に入り、ストレスはほとんど無い。
字面にしてみれば素晴らしいはずのこの人生が、何故か自分の目には錆びて見える。
多分、小さな事に幸せを感じる事ができないからなんだと思う。
今の生活は数年前に夢見ていた生活だった気がするけど、結局1歩進むごとに自分の目標も1歩前へ進んでいる。
アキレスと亀の話のようなもので、自分は前へ進んでいるけど目標もそれと同じ速度で前へ進んでいるから永遠に何も手に入っていないように感じる。
自分を変えようと試みた事はあるものの、結局何も変わらなかった。
幸せを感じると、すぐにそれに対して不安を覚える。この幸せをいつまで感じる事ができるだろうか?
そうやってまた分析と改善の中に知らず知らずのうちに戻っていく。
正直、もう疲れた。やめたいけどやめられない。
永遠に不安に追いたてられて前へ進んでいるだけ、自分の人生で本当に自分自身でやりたかった事を心行くまでやった事があっただろうか。
いつもいつも、欲しがりません勝つまではの精神で生きている癖にゴールの定義は永遠に前へ前へ行くから抑圧の連続。
なんでこんな事やってるんだろうと思っても、結局やってしまう。動いていないと、学んでいないと不安。自分よりできる人や自分より優秀な人を見ると焦りの気持ちが強くなって、また前へ進もうとしてる。
もう疲れた。本当に。
生きることやめたい。
もう何も欲しがらないから、何も不安を与えないで欲しい。
今も昔も、本当にほしかったのは日常だけ。でもそれがいつもいつも手に入らなくて、大人になって気がつけばいつも日常を探して駆けずり回っている。
幸せを感じる事ができるのは、多分未来じゃなくて今なんだ。
どうしたらまたこうなる前のように、ただ生きることそのものを楽しむ事ができるだろう。
どうすればここから逃れられるのだろう。
もう生きるのが嫌になってしまった。
ななしさん
主さんは,思慮深い方なんですね。
幸せ恐怖症ですかね。
私いま学生やっていますが,家族からの愛は普通に受け取れるし疑いもしないのに,他人からの愛とかそんな類いのものは受け取れないんです。
それって,家族からの愛は無償の愛で家族が死ぬまではそれは続く永遠のものだと理解していて,他人じゃないから裏切られる心配すらしないでいいって分かっているからで,他人からのそんな類いを受け取れないのは他人は自分をいつか裏切るもの,与えてくるソレらは無償では無く,いずれは消えてしまうものだと考えているからなんだろうなって。
つまり私の中では,
永遠=家族からの愛
永遠とも言えない=他人からの愛
アキレスと亀の話…
以前聞いたことがあります。
永遠ってこの世界にいる限り無いです。
今あるモノやコトは全ていずれは消えて無くなります。
名誉や金貨だってなんだって
いずれはその人からは消えて無くなります。
でも綺麗な心は死んだ後も残るし,永遠のものです。