自殺幇助してくれるウェブサイトをずっと探している。
自殺はただの出口だと誰かに肯定して欲しい。自殺を肯定して欲しい。甘えないことが自殺なのだと誰かに勧めてもらいたい。
不安が多い。調べたけれど不安障害とも何かが違う気がする。気質とか、性格とか、パーソナリティとか、要するにすべては自業自得だということだ。
首を吊るのが怖い。椅子を蹴れば死ねるという状況まではなんども言った。一度は蹴ったけれど、ロープが伸びて死ねなかった。
この前犬が死んだ。父も母も泣いていた。
私が自殺未遂をしたときはどちらも泣かなかった。「後遺症はあるのか」と冷めた口調で訊いただけだ。
父とはどうやら血が繋がっていないらしい。
状況証拠しかない。ずっと血液型を教えてくれなかったり、きょうだいの間で確かな不平等があったり、ここに書けないことだったり。
そのすべてが妄想だと言われたら、自分はそれを否定できない。
不安になるのがとても、嫌だ。苦しい。どうにもならないんじゃないかと不安がどんどん膨らんでいく。
人生の終わりのように感じる。すべての失敗が人生の終わりに繋がっていくように感じる。
ただの甘えだ。分かっている。甘ったれで、自業自得で、自己責任で、誰かのせいにはできない。
自己管理が出来ていないのだ。言い訳は出来ない。
カウンセラーは「甘えないことは死ぬことなのか」と言う。分からない。そうではない気もするけれど、否定するのも何かが違う。
自殺するのはなんとなく善だと思う。
家庭環境と統合失調症は関係がないらしい。だとしたらそれこそ自業自得だと思う。
カウンセラーは自己責任ではないという。
遺伝が関係しているという文献もある。
だったらなんなんだ。ただの不幸か。
遺伝だとしても、家庭環境だとしても、自分は救われない気がする。
家庭環境だとしてみても、親の苦労を支えられなかったとか、共感能力が欠如しているとは自己責任だ。父親ともし血が繋がっていたとしたら、自分の子供の前で飼い犬を虐待したりする親を持った子供がまともな家庭を築けるとは思えない。
自分には何もない。
もし誰も悪くなくて、自分の気質的な問題であったとしても、やっぱり自己責任になる。皆のように強く生きていけなかった。生きられなかった。そうはなれなかった。
まともな人間になれないくらいなら、生まれてきたくなかった。
生きなければいけないという言葉がひどく重い。
死んでも良いんだよと誰かに勧めて貰いたい。死んだ後はその人に供養して貰いたい。最低の甘えだと分かってはいる。そんなことを実行してくれる人はいないと分かっている。だけれどそれを望むことさえ罪になるのか。