初めは、どの家庭にもあるようなささいなもめごと。
私が「やめてしい」と言っても効果無し。
疲れ果てる私を案じて、当日小学3年の息子が〈やめてね〉の看板を作ってくれても、効果無し。
息子が困って泣いても、何も変わらなかったのには、本当に腹が立ったし、失望した。
「子煩悩なイクメン」だったのに…
それでも、息子の小学校卒業を前に、和解しようと思った。
どんなに腹が立っても、私は、どこかで「お互いさまだ」と思っていたから。
「偽物じゃない家族」で卒業式に出席してあげたかったから。
だから夫が私に対して「寛容じゃないそっちが、全面的に悪い」と言っても、抵抗せず呑んだ。
今後の私自身のためにも、まずは和解しよう、と、決意していたから。
この人は、お互いさまだとは思ってないんだ、と、失望したけど、
まずは和解しようと、握手もした。
その直後。
利き手の指を骨折している中学2年の娘に、
「あしたの朝、登校する時、ダイニング椅子を粗大ゴミに出してくれる?まあ、誰でもいいんだけど…」。
手が痛い子に対して、それはあり得ないでしょう!
誰でもいいなら、たった今和解した私に言いなさい!
私が自分の主張を全部抑えて、「全面的に悪い」を否定せず苦渋の和解をしたのは、こんな、判断も出来ない人とやり直すため?
そう思うと、くやしくてくやしくて、大泣きした。
そこから2ヶ月、口を一切きかなかった。
でも、子供たちに「伝書バト」をさせるのが申し訳なかった。
やはり、和解するべきだ、思った。
会社を一日休み、時間をかけて、誰にも言えない思いを全部、ノートに書き出した。
その次の週末、できるだけ普通に会話を持つようにしてみた。
でも、私がちょっと強い口調を使った瞬間、キレられた。
2年以上の不和の後だから、仕方ないとは思う。
私はそれでも和解したいのか?
分からなくなってきた。
来週末も、がんばって普通の会話を持ってみようか。
またキレられらかもしれない。
なぜ私がこんな思いをしなければならないの?
そもそもの原因は、夫にあったのに。
「全面的に悪い」と言ったつもりじゃなかったかもしれない。
でも、もう、私は自分の主張を曲げてまで受け入れたくない。
でも、私は、一時的にせよ、和解に向かって進むことは出来る。
ただ、今の気持ちを、一人でかかえるのは、もう無理。
誰か、聞いてほしい。知ってほしい。
誰にも言えない。
でも、もし私が突然消えても、それは、この問題のせいじゃない。
私は中学2年の時、死にたかったけど、出来なかった。
方法も分からなかったし、恐かったから。
でも、大人になった。
もし私が消えたら、それは、やっと「実行」できるようになれた、ということ。
子供たちが成人するまで、私は消えない。
もうしばらく、「厳しくも明るく面白いおかあさん」をがんばるから、だれか、
私のがんばりを、みててほしい。