いつから自分がダメ人間になったのかわからない。起きていることにすら疲労を感じて、休日でも学校にいるような気分。受験生だっていうのに勉強は進まないし、しなきゃいけないってわかっていながらしない自分が理解できない。そんなストレスが毎日毎日溜まって、発散できないでただ生きている。一秒一秒を無駄にしている感覚に嫌気がさして、心臓が痛い。受験が目の前に迫って、今更焦るけどやったって意味ないんじゃないかってなにもできない。結局しないと意味ないってことは知っているのに。
少ない友達の一人から「来れそうだったら学校きてね」ってよく言われる。それがありがたくて仕方ないけど、行けるくらい元気な日に学校行くくらいなら一日映画見て過ごしたい。騒がしくて落ち着きがなくて、人が沢山いる学校は私にとって苦でしかないのに、毎朝早く起きてわざわざ行っているのがとても惨め。行きたくないと毎朝思うのに、制服を着た自分は悩みなんてなにもないような顔で私を見つめる。だから足は靴の中に入って、雪を踏みしめて学校へ向く。ただ、自分が可哀想だと思った。
自分の味方だったピアノも面白くなくなった。受験だから気持ちが入らないんだろうけど、試験が終わってもずっと面白くなかったら?ただ弾いて、波風たたない自分の音色を聞いて、何が楽しい?ピアノ、弾きたいよ。楽しく弾けなくてごめんね。もうちょっと待ってほしいんだ。
寝つけない夜とか、勉強に背中を向けているとき、止まることなくすり減っていく命の砂時計に涙が出る。無駄に流れるその砂は、もう二度と帰ってこない。あとは最後に燃やされて骨になるのを待つだけの、可哀想な時。もっと有効に使えるはず。もっと素敵な時間になれたはず。そう考えれば考えるほど、死にたいと思って死ぬのが怖くなった。
うまくいけば手に入る新しい生活のために、自分を変えたいという向上心はある。人のためより自分のためを考えて生きていきたい。自分の幸せのために、努力できる人間になりたい。人は変われるのか?でも自分らしさは捨てられないことを、私は知っている。自分らしさに誇りを持てればいいと散々そう思うのに、まだ探し回ってばかりだ。
ななしさん
私はクラス制が嫌いでした。
でも仲の良い人はいました。
だけど学校の規律やクラス制度を好きになれなかったので学校に来ても早く家に帰りたいとしかあまり思いませんでした。
厳しい規律の中学校へ行き、そして自由が利く高校へ入りました。
そして卒業後新しいクラス制度のある大学へと入りましたが窮屈かつ人間関係も最悪だったので新しい大学へ行きました。
そして自由を楽しんでいきました。
私は映画が大好きでストレスや退屈さがあると観に行ったり、貸りに行きます。
たまにはのんびりと歩いたりしてみたりすると落ち着いたりもします。
まだ寒いので行けないけど、海をぼーっと眺めていたいから暖かくなったら海のほう行って眺めにいこうかなと思っています。
Redwine