親に言えないことが沢山ある。
ツイッターやブログをはじめたこと、あのちゃんが好きなこと、いつか一人で遊びに行ってみたいこと、好きなものにお金を使いたいこと。あわよくば好きなことでお金を貰えるくらいになって生きていきたいこと。生活力もないし自立できてないのに思う。他にも色々
叱られるくらいなら不自由になってもいいから、自分の世界を守りたい。だけど自分のことを押し殺していたら、いつか何もわからない空っぽな人間になってしまうかもしれない。
自分は言葉を使うのがうまくないかもしれない。ずっと友達がいなくて家族としか喋らないから。でもそこでさえ嘘をついたり言えないことばかり。このままではいけないんじゃないか。
そこで去年の終わりに思いついて、ブログをはじめた。最初はどうしようもない気持ちをありのままにして文章を書いていた。そのうち自由律俳句も載せるようになった。
自由律俳句は簡単に言うならば一行の詩のようなものだ。字数に囚われず日常などを表現できるのは、ツイートにも近い。難しいことばかりでなく、始めることは誰にでもできる。
知識の無い自分でも試しに書いてみると、気持ちが楽になった。日常のつらさを吐き出す場があることは大事だ。しかも続けていく中で何人かの方に評価を頂いたりもした。
宛名のないメールもそうだが、自由につらさを吐くことを誰にも責められない空間や、誰かとの間にうっすらとゆるやかに繋がりや共通点が見出せることに救われる。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。最後に言いたいのは、自由律俳句はいいよ、ということです。表現することや鑑賞することを楽しむには一番手をつけやすい分野で、「眩しすぎない」親しみがあります。あなたも一緒に始めてみませんか。
いつかどこかで自由律俳句を通してまた会えるのを楽しみにしています。