言いたいことあるよね。この世界にはまだ見ぬ
面白いことがあるのに、ないと不満を言う私。
それにあるとかないとかにこだわって肝心の
内容に全く手を付けなかったりするのは単なる
逃げである。優しく包まれたい。相手に対して
しつこい、気持ち悪いと思う心理は何だろうか。
私は自分のことをしつこいと思っている。何が
駄目かというよりまず自分のことを過剰に
ジャッジしている。これをやめれば相手に
対してもしなくなるかもしれない。なぜこんなに
ジャッジしてしまうのか。癖?無意識のルールが
あってそれとの間違い探しを自動的にやって
しまうのかも。本当にそれは絶対的なルール
なのか。そんなものは決まっているわけではない。
漠然としたもの。囚われから自由になって選択を
したい。しなければならないことなんて本当は
ない。陰も陽も実在しない。それに拘る間は
答えは見えない。表と裏ではなく紙が実在して
いるのである。歌う時も全体を俯瞰することが
必要だ。音だけを辿っていても音楽にならない。
今一番のストレス源は仕事。働き方を考え中。
漢方を主体にするのを諦めたいと思っている。
向いてない。週末の勉強会もストレスが強くて
普段できない口内炎ができている。具体的に何が
嫌なんだろう。振るい落とされる恐怖。確かに
プロの世界は甘くない。趣味とは違う。私は
何のプロにもなれないのかもしれない。また
ネガティブに。そうではない。発想をなるべく
捻じ曲げずに表現すること、実行すること。
直感や発想が降りてくるなんて言うけれど、
ライトランゲージというのがしっくりくる。
言外のメッセージ。寝起きや朝は生きている。
しかし職場に辿り着くと一気に萎れて枯れて
しまう。言論や表現の自由。これが抑圧される
恐怖を日々感じている。表面は生、裏面は死。
二つは別のものではない。命という一つのもので
繋がれている。自由と恐怖。女性の中の男らしさ、
男性の中の女らしさ、大人の中の子供っぽさ、
子供の中の大人っぽさ。要は全て同じ命である。
向いているとか向いていないとか、元気とか
病気とか、命の表現型の一つであって実は関係
ないのかもしれない。