好きな人に好かれないのが辛い。
自分にとって、恋愛は「いかに自分が我慢するか?」の勝負だ。
なぜなら、自分の好きな事に従って行動したり発言したりすれば、人が離れていくと思っているからだ。
どうも今までの経験からわかったことは、
自分の考えていることは「ひねくれている・自意識過剰」らしい。
また、「良いよ・面白いよ」と言われた流行の音楽・アニメ等を
「ほんとに良い・おもしろいのかな...」と思いながら、
それでも「聞いても・見てもないのに決めつけるのはよくない。」と
実際聞いたり見たりしてみるが、
結局あまり良くない・面白くないことがよくある。
自分は少しずれていることがあるのだろう。
確かに私は、ポジティブで薄っぺらいものよりも、ネガティブでディープなコンテンツが好きな人間だ。
しかし感覚的に、前者の方を好む人間の方が多数派であることもなんとなくわかっているつもりだ。
となると、大変である。自分が素直に良いと思っていることを言うのをためらうようになった。
好きな異性ができても自分の趣味嗜好を言わない方がよいと感覚的にわかる(なんなら言ってしまったら同性にすら引かれる可能性も十分ある)。
それなら、自分の趣味嗜好を理解してくれる人を探せばいいじゃないか!
そう思ったこともあった。しかし、その理解者って全体のうちどのくらいいるのだろう。おそらく多くはない。
なら、ただでさえ良い人に巡り合うのが難しい恋愛で、さらに趣味嗜好が合うなんで、探すのはかなり大変そうだ。
それなら、自分が我慢したほうが良いだろうと思うようになった。
これが、自分にとって、恋愛は「いかに自分が我慢するか?」の勝負だ。という理由である。
しかし、困ったことに自分はそこまで我慢強くはない。なので、最初は頑張れても結局疲れる。
すると、次のような考えが浮かんでくる。「なぜ、自分はこの趣味が好きなんだろう?」。
もっと、異性ウケするような趣味だったらよかったのに。そう思う。
ある趣味を好きになる理由とはなんだろうか?何がそうさせたのか?
自己責任なのか?
・・・生まれた環境のせいなのか?
(責任転嫁はよくない気もするが、これは生まれつきの性格にもかかわるものだと思うので、案外自分としてはこの理由を支持している)
異性ウケするような趣味を好きになれればよかったに決まっている。
自分の心がけ次第で変えられるものなのか?流行りのものはどうも合わないみたいだ。
理解者も少ないので探すのも大変。その探している時間のうちにで他の人は出会いを幾重にも積み重ねている。
結局、自分を殺さないとうまくいかなそうだ。なんとも悲しい。
しかも、自分を殺したからと言って報われないことも多い。
アプローチが間違っているのかもしれないが、理不尽な面もあると思う。
異性ウケするようなものを好きというとうまくいく可能性は高い(少なくとも減点はされにくい)。
マニアックなものを好きと言うとうまくいかない可能性が高く、
これは相手のストライクゾーンから外れやすいことを意味している。自動的にそういうポジションにカテゴライズされてしまう。
素直に好きなものになぜここまで違いがでるのか?
それを好きな自分がいけないのか?
ななしさん
あなたは好きなものを我慢したいのですか?
人間、無理は続きません。それに、趣味の内容はどうあれ好きなものを好きって言ってる人のほうがわたしは魅力的だと思いますよ。
わたしもどちらかとゆうとネガティヴなものが好きで、アーティストで例えるなら、ゆずを聴くと日にさらされたドラキュラみたいな気持ちになります。(ゆずが好きな人が見てたらごめんなさい)
でも、ゆずが好きな人と付き合ったこともあるし、付き合う付き合わないは趣味が合うかどうかで決まるわけではありません。
要するに人間関係なので、素直に自分の気持ちを伝えられない相手と信頼関係は築けません。
あなたが一緒にいて心地良い人が見つかることをいのってます。