生き辛い。
一日一日、人と関わるだけで疲れ果ててしまう。
人の目が怖くて、怯えながら暮らしている。
外に出れば、物を買う、食事をする、
その他色んなことを躊躇してしまう。
絶対にできないことはないけど、
する前はすごく勇気がいるから、
なるべく避けるか、
緊張しながらやり過ごしている。
電車やバスも。
交通手段として、乗れるのは乗れるんだけど、
視線をどこに向けるか、
立ち姿はおかしくないか、
不安や緊張まみれで利用している。
人の前で何かやるときも、
視線が気になって、
やりたいことには集中できず、
頭が回らなくなる。
字を書くとき、
相手から少し分かる程度で手が震える。
人と話すのは苦手だ。
話しが下手で、口調から愚かさが垣間見える。
本当は、色んなことを学びたいと思うのに、
頭の良い人は話しが上手という固定概念で、
自分には無理なことだと思ってしまう。
口を開くたび、自分の下手さに後悔する。
将来にも、失望してしまう。
一日一日の中で、以上のように感じることは
非常に多い。
私は社交不安障害や、統合失調症を疑った。
統合失調症を疑ったのは、
過去に被害妄想や、幻聴があったからだった。
幻聴と言っても、
私は他人の話し声が何となく自分の悪口を
言われているように感じたり、
自分がたまたま通り過ぎたときに、
そこにいた他人が笑っていて、
それは自分に向けたものだと
感じてしまう、そのようなものだった。
私の生き辛さは、
上に挙げた当事者から見れば、
そんなことで…と思われたり、
あるいは健常者から見ても
誰だってそう、と思われるのではないか
と考えてしまう。
精神科へ受診したとき、
診断名がつかなかったことから、
そう考えるようになった。
私はただ弱い人間なのだろうか。
精神疾患でもなく、
こう感じてしまう、こう考えてしまう、
これができない、あれができない、
生き辛い、疲れ果てる、
と相談するのが、当事者からすると小さいことで、
こんなことで悩んでいる自分が非常に惨めで情けなく感じる。
みんな誰だって辛く感じることはあると言うが、
こんな生き辛さを感じながら、
服を買い、買いたい物を買い、
楽しそうに食事をし、誰かと会話をし、
日常的にやりたいことをやっているのか。
私は死にたいなど口を出して言えなくなった。
苦しいの基準が私は低く、
周りから見れば甘えだと思われることで、
そんなことで何年も散々悩んでいたことが
情けなくなった。
今もなお、生き辛い。
この先もきっと生き辛いと嘆き、
低水準の苦しいを感じながら生きるんだろう。