他人のものは“読むだけ”とかのほうが自分らしい気はしてる。
小さい頃、人が苦手で、親戚が来たりすると家の中で逃げたり隠れたりしてたわけだし。
人前で発表するなにかとか、泣きじゃくってどうしようもないやつだったし。
でも大人になるにつれて【適応】しなきゃいけなくって、その結果がもし【適応障害】なら、人と関わるのは本当に向いてないんだろうなとか思考してみるが……己でてきとーに考察するのは果たして良いのか悪いのか。
そう思い込みたいだけじゃね?
逃げるための理由を創作してるだけでしょう?
何を考えたってそんなのがよぎるせいで、本音とか嘘とかまるでわからない。
思考してる時点でもう終わり。無理。
そうじゃない時もあるだろうから、それがきっとぼくを生かすものであって、今ここに書くものはすべてどうでもいい戯言なのです。
でもこんな戯言も、暇つぶしにはなるから。
もしかしたら読みたい人もいるかもしれないし。
無駄なことなんかないと思いたい人だから。
全部を愛していたい人だから。(時と場合による)
だから今日も書くのです。
ありがとう
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
退屈……【退屈は、なすべきことがなくて時間をもてあましその状況に嫌気がさしている様、もしくは実行中の事柄について関心を失い飽きている様、及びその感情である。】Wikipedia引用
うーん……
退屈な時もあればそうでない時もある?
でもそれって普通では?いや、普通がつまらないということ?
退屈な時間がない人間は充足している?
でも【退屈】というものが嫌いじゃなかったら?
【退屈】というものも足して、充足という可能性……
考えんのってやっぱおもしれーw
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項