烏羽
何のために生まれ、生きるのか。
生物的な意味で言うのであれば、本能のため。繁栄や食欲…、飢餓など、死の間際にあるであろう、痛みや苦しみから逃れる為。
精神的な…、本能のみに囚われない、「自我、自分」という存在からしてみれば、人生哲学だな。
歳や経験で出てくるものでもなく、一生涯を精一杯生きて、真剣に考え抜いても、運もあるというのか、おいそれと出てくるようなものではない気がする。
(曲の批判ではないが、そういう所もあって、答えを出せる事が良い事なのか、悪い事なのかというと、個人的には何とも思えない)
何のために生きる。何が幸せで、何をして喜ぶ。
それは「自己の確立」であり、延いては自分の歩む人生、望む人生を、確立する事にも繋がるんだろうな。
俺は、食べてきた命の分だけでも、それなりに生きようと思ってる。
何をして喜ぶのか、明確には解らない。
趣味はあるが、人生を振り返ればその全てが、一瞬一瞬で、曖昧だ。
「自分を決める」事で、人生の支えや、進む指標となる人も居るだろうとは思うし、自分自身そういう経験はある。
だが、これからの人生を決める事は出来ないし、決めた人生に振り回されたくもない。
生きている以上、変化し続けるものでもある。
それが今の俺の生き方なんだろう。
まあ、それはそれとして、作者が作者だけに、戦時体験からくる、命の儚さや現実を感じるというか、地に足のついた歌詞だからこそ、響いてくる事もあるのかと思う。
全国の護国神社のホームページから見れる英霊方の資料とか、今はコロナでアレだが、東京の靖国神社とか…
参拝後にこの曲の歌詞を見ると、重みというか、感覚が変わるかもしれんな。
…因みに、答えられたかはよく解らんけど、俺は引きこもりの20半ばだぜ☆
…書いておいてなんだが、もし偉そうな言葉遣いに受け取られたら申し訳ない。
無礼は承知の上、歳という認識から心の壁を作りたくないもので。