私は、「頑張る」という言葉が嫌い。
なんとなく、無責任だからだ。
「頑張る」に普遍的な基準なんてなくて、それを推し量ろうとすると、主観的になる。
「頑張るね」
と、言ったとしても、本当にそう出来ているとは限らない。
人から見たら、それは頑張りでもなんでもない当たり前のことなのかもしれない。
相手から見たらちっぽけで、私は頑張っているのに、違うと言われるかもしれない。
「頑張って」
という言葉ほど簡単に使えて、無責任で、冷ややかな言葉はないと思う。
心になくても言える。
相手を心で見てなくたって、とりあえず使えば良くなってしまう。
そう、上部で見えるだけなのに。
便利な言葉だと多用される。
「頑張れ」が嫌い。
だけど、この言葉がただ冷たいだけの言葉じゃないことも知ってる。
高校最後の打ち上げの日。
夜、クラスの子と公園で遊んで、途中で帰ろうとした時。
私の大好きな友達が
「頑張ってね」
と言った。
その子は私が浪人すると知っていた。
その日の目標は、大好きなクラスのみんなの前で絶対に泣かないことだったのに。
嬉しかったんだ。
「頑張れ」という言葉はこんな風に、時にあたたかく、大きな支えになってくれる。
「頑張る」は無責任だと今でも思う。
けれど、「頑張れ」や「頑張ろう」は、使い方を間違えなければ時に人を救うと知っているから、無責任になってしまわないように気をつけて、私は宛メでその言葉を使う。
長くなってしまったけれど、ずっと前から思っていたこと。
これを読んでくださった貴方に、ほんの少しでも気持ちが伝わると嬉しいです。