私はいつから自分に自信がなくなったんだろう。振り返ってみても、いつ頃からなのか、何がきっかけなのか、何もかもが検討もつかない。
親から聞いた話によれば、小さな頃の私は誰にでも臆することなく話しかける、社交的な子どもだったらしい。公園に遊びにいけば、もう既にいる他の子供に話しかけて、仲良く遊んでいたと。
それが今や、他人に不快に思われないように、嫌われないようにと笑顔と愛想を振りまく、可哀想なくらいに必死な私になってしまった。どうしてだろう。嫌われたって不快に思われたって、これから先の長い人生においてはさして影響のないような人達ばかりだと言うのに。何にそんなに必死になっているのか、自分自身にもわからない。
今や私は、自分でつくりあげた『理想』というファンタジーに閉じ込められている。そのせいで、いつまでも自分に自信を持つことが出来ない。
私は自分の顔が好きではない。口先だけでは好きだと言えるけれど、その実本当に好きかと言われればそうじゃない。はっきりした二重がよかった。丸顔だったらよかった。顔の余白が気に入らない。鼻の大きさ、高さが気に入らない。
体型も好きではない。私は幼い頃から太っていて、ダイエットをした今でも太っているのではないかと思ってしまう。脂肪のまとわりついたお腹も、お世辞にも細いとはいえない足も、たるんだ二の腕も、太くて短い首も、その全てが私のコンプレックスになっている。
性格だって気に入らないところが多くある。こうありたいと願う理想像があまりにもうつくしくきらびやかすぎて、それからかけ離れた自分でいることへの悔しさ、やるせなさが常に私の中にはある。
どんなに自分を愛してあげようと努力しても、最終的には自分が醜いという結論に至ってしまって、外に出て何かをする度に、誰かの視線が気になって仕方がない。服を買うにも、化粧品を買うにも、こんなにかわいいものを私が手に入れていいのかという罪悪感と、こんなにかわいいものを手に入れようとすることを笑われてしまうんじゃないかという恐怖感。そしてなにより、ここにいていいのだろうかという所在のなさが私を襲うのだ。きらきらかわいい女の子達が集まる場所に、場違いな私が存在していていいのかという苦しさ。胸中にある黒い何かが、私の思考を圧迫して、心が苦しくなって、息がしづらくなる。あの瞬間、私はその場から、いや、この世から消えてしまいたくなる。その時の感情は、恥ずかしさ、罪悪感、その他様々なネガティブ的感情がおり混ざった、酷く不愉快なもので、私が自信を失う時必ずと言っていいほど現れて、私を嬲る。
こういう気分の浮き沈みやネガティヴさの原因は、精神医学的にいえばセロトニンの分泌がどうとか、アドレナリン受容体がどうとか、そういう説明になるのかもしれない。けれど、それは納得できる事象であれ慰めにはならない。理解はできても納得はできない。どうして私ばかり。それさえくだらないと俯瞰する自分がいる。
自身を認めてあげられるのはいつになるんだろう。