最近、心を抉られるような出来事ばかり。
文章を書くのを生業にするために毎日文章を書くことを自分に課している。
だけど、心が麻痺してしまったのか、心が不安に支配されているのか、ここ数日、書く上で深い思考が出来なくなった。
下手に書こうとすると文が上滑りして薄いものしか出来ない。我ながら酷い出来だとも思う。
書くのが嫌なわけではない。
でも今はこんな状況で、書くも地獄、書かずも地獄という感じだ。
悲惨なニュースも多いし、自分の生活も近い将来露頭に迷うのではという不安が常にある。
周りにいるのは、プロで文筆業をしていて既に実績を残していたり、学生業の傍で、ある程度の余裕があって趣味で執筆をしている人ばかり。
だからこんな悩みは誰にも相談出来ない。
けど、言える場所がここしかないからここに書いた。
名前のない小瓶
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ななしさん
お返事ありがとうございます。実際に文章を書くお仕事をされている方からお返事を頂けるとは光栄です。
あの文を書いてから数日後、心が落ち着いたのか、今は普段通りの創作が出来るようになりました。あのまま戻らなければずっと苦しみ続けたのかと恐ろしく思いつつも、今はほっとしています。
確かに本当に作家の資質がある人はあまりこのようなことを悩まないのかもしれないですね。書いたものの質を決めるのは第三者ということを踏まえるならば、職業に出来ている=他者から資質のお墨付きを得ているという点で羨ましくもあります。
私は書くことは苦痛ではないのですが、他者から質のお墨付きを得ていないという点で、自分が本当に作家としての才能があるのか、分かりかねている状態です。
あの文を書いた頃に、苦しみながら書いていた文章を読み返してみたのですが、何と言うか、自分が経験で習得して使っていた文構成の公式を忘れてしまったような文でした。動揺が文にも出ているようで、テンポの乱れがあったり、描写の粒度を揃えるまで気が回っていなかったりしている感じを受けました。
作家は、締め切りを守って書き続けられることも資質の一つだと思いますが、このようなメンタルの弱さでやっていけるのかと思ったりもしています。
私は身体があまり丈夫ではないので、運動は出来ないのですが、アート作品を見たり、音楽を聴いたりするのは好きです。コロナの影響で、出歩くことが出来なくなったというのも、悩みが深くなった原因だと思っています。リスク回避のために家に籠っていたことが悪かったのかもしれません。
頂いたアドバイスの通り、リフレッシュも兼ねて積極的に外に出るようにしようと思います。
名前のない小瓶
私もだいぶ前に似たような状況にあり、似たようなつらさを味わったことがあります。
知り合いにプロの作家がいますが、なんというか、書く、という行為に対する感覚がまるで違うんですよね。あの人たちは書きたいから書いているのもあるけど、別に書きたくない気分のときでも書ける。それでもそれなりの質の文章になってしまう。まったく力まずに延々続けられることがたまたま執筆という行為だったから作家をやっている、そんな感じを受けます。
努力でその境地にたどり着けるものかどうかは難しいところだと思います。どうしても資質が物を言うでしょうから。
私は今も物語を作って形にしているし、それを生業にできてもいますが、小説という以前志していた形ではありません。その方がずっと楽に、楽しく続けられることに気がついたからです。満足感も十分得られています。
それでもやっぱり疲れるときはあります。そんなときは思い切って、作る行為からいったん離れます。そしてこういうサイトを眺めたり、まるで分野の違うことにチャレンジしたりしています。突然ボルダリングを始めたりとか、一人旅に出てみたりとか(今はコロナでちと難しいですが)。
日々の努力の積み重ねは確実に力になりますが、とはいえ365日文字通り毎日やらなければいけないものでもないでしょう。また文字通り「書く行為」のみが積み重ねになるわけでもないでしょう。意識さえしていればどんな行為も、自分の進みたい道への糧として積み重ねられていくと思います。
気が乗らないときは焦らず、無理をせず、あえてまるで違うことをしてみるのも、芸のこやし、文のこやしになるかもしれませんよ。
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