これからあと何年生きていかなくちゃならないんだろう。
これから先は老いる一方で・・・。
子供の頃からいつも茫漠とした砂漠の真ん中で迷子だった。
どこへ行けば良いかわからない。
何をしたら良いかわからない。
私の周りにあるのは延々と続く地面と酸素だけ。
そんな砂漠で「さあ、思い通りに自由に生きてごらん!」と言われて、
私はただ多すぎる酸素の中で過呼吸になる。
180度開かれた世界は幸せだろうか。
180度の選択肢は、本当に自由だろうか。
見出したいものが明確にある人にとっては、
世界は100パーセントの可能性かもしれないけれど、
見出したいものがわからない人間にとっては、無限の檻のようなもの。
わからない、わからない、でも、どこかに何かがあるはず、
自分の人生をつかまなくては!と手探りで探し続けて、
時には乾いた喉を潤すがごとく、特定の人間関係の中に遊び、
特定の何かに夢中になり、
可能性をちらりと見出したかに見えても、
そこに定住したいかと言われればそうではないことに気づいてしまう。
そんなことの繰り返しで生きてきた。
そしてまた子供の頃のように、砂漠の中で立ち往生している。
こんなことの繰り返しで、年をとった、年をとっていく。
若い時には感性が豊かだ、感受性が鋭いと言われても、
年をとったらそんなものは役には立たない。
どれだけサバイバル能力があるか、どれだけ人の海を上手に泳げるか、それだけだ。
そのへんがまるで赤子のごとく、無知な私。
お金を増やす才覚もなく、
ただあくせく働いて、ほんの少し、その月のお給料が多いだけで少し幸せ。
そして次の月には疲れ果てて頑張り抜けず、
また生活を支えるギリギリラインに収入が落ち込む。
生きる能力そのものに欠けている私が、
ひとりで生きていこうとしたのは間違いだったのか。
先のことは考えても仕方がない、けれど考えなくてはたぶん、このまま年をとるだけ。
けれど、考えようとすると砂漠の真ん中で喘ぎ始める。
生きることが楽でなさすぎる。
年を経るにつれて、この先も生きていくことが怖くてたまらない。