「自分らしく」とか簡単に言うけど、それってめちゃくちゃ難易度高くないですか?
私は幼い頃からいつも周囲の期待に応えることばかり考えていて、そのためにたくさん努力もしたし、時には「自分らしさ」を捨てて、周囲の人が思う「私らしさ」を演じたりもしてきました。
そうしているうちに、何だか自分らしさがよく分からなくなったりもしました。
例えば、「あのドラマ見てる?」と聞かれたら、きっとこの人は私とそのドラマについて話したいんだろう、それを期待されているのだろうと感じ、興味がなくても過去の放送まで遡って全部見たりします。
「見ていないから教えて」とでも言えば済むものを、見ていない自分は求められていないと感じてしまいます。
でも、そういうのって、やっぱりどこかでボロがでるんです。
私のそうした努力(といっていいか分からないけど)に気付かない人は「一緒にいると居心地がいい」と言ってくれますが、何となく感じ取る人は「何を考えているのか分からない」と言います。
私が考えていることといえば、周囲の期待に応えること、がっかりされないこと、それだけです。なので本心なんてものはいつの間にかどこかに行ってしまって、自分でも「何を考えているのか分からない」のです。
自分らしく生きるというのは、すなわち自分らしく生きていても周囲に受け入れられる自信があるということだと私は思います。
もしくは、その自分らしさに、ある程度価値を見い出せているということだと思います。
私は自分に自信がありません。本当に空っぽなので、それを知られたくない、隠したいという思いでいっぱいです。自分らしくなんて生きてしまえば、私はひとりぼっちになってしまうのではないかと思うのです。
みなさんは自分のことを、自分らしく生きていると思いますか?そう思うのは、あるいは思えないのはなぜですか?
名前のない小瓶
123040通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
相手を思い自分が大変なことをしてしまう。
それがあなたらしさだよ?
視野を広く持ちな。
君がみているのは世界の一部なはずさ。
それも君だけの世界だ。
他の人の世界も見るのも楽しいぜ。
周り/の見方を変えるんだ。
キングテレサ
自分らしく生きていると思える時もあれば、そうでない時もありますね、その日の「メンタル」や、人間関係でも変わってきますから。
名前のない小瓶
ずっと自分不在でした。他人の心を読んでばかりで。やりたくないことばかりしてきたから自分がやりたいこともわからない。この頃気づいたんですが、私は人を嫌いになるのは悪いことだと思ってましたが、私は全員のことが嫌いだと気づきました。人の心を読んで相手に合わせるのはもうやめて、私の心を読んで私好みに合わせて動いてもらうように、怒ったり喜んだり文句言ったりするようにしました。相手を読むより、私を読んでもらう方が楽ですね。まだうまくできないけど、自分を最優先に考えるように心がけてます。皆んなもっとまわりのことを考えてるんだと思っていたんですが、皆んな自分勝手でした。自分勝手なだけでなく、私のことが嫌いだったり全く興味がなかったりするのです。だからもうそんな人たちに気づかうのはやめました。嫌われるのがこわかったんですが、笑顔で接してくるのに内心初めから皆んな私のことが嫌いだったのです。はじめから。初めから嫌われてるのだったら嫌われないように苦心するのが無意味ですよね。すみません長くなりました。
ななしさん
私にも悩む時期がありました。そして、同じように悩む子はクラスにはいないかもしれないけど、同じ地区の中学校?高校?に一人はいると思います。だから大丈夫って言われても、安心できないですよね笑。
質問主の方はすごく優しい人だなと思います。私ならドラマみるのめんどくさいし、適当に話を合わせると思うので。でも全部それじゃ疲れるとも思います。ペットのおかしな行動とか、町でみかけた不思議な光景とか何かふと笑えることがありますか?それを友達に話してみて、聞き流されたりしたらどこがどう面白いかしっかり伝えるというのもいいのかなと思います。それでも聞いてくれなければ、そういう人だなと思って、もし笑ってくれる人がいたらそういうことを繰り返していけばいいのかなと思いました。
ななしさん
私は自分で生きてますよ。自分らしく…?は逆に何? らしくするは今現在の状態では違う何か他を演じるみたいですね。
人前では 丁寧な口調に笑みを浮かべる自分もいますし 家の中ではゴロゴロしてる自分もいるし 気に入らない奴には「ボケが!」って怒鳴る自分もいます。あなたは他人に気を遣いすぎなのではないですか?他人が私を受け入れるか 受け入れないかは 相手の好き勝手ですし 嫌われようが好かれようが 私の生活に何の支障もきたしません。他人の事など知らない 適当。自分の大切な人達だけをひたすら守る。それが私です。
ななしさん
こんにちは。私もめちゃくちゃ難易度高いと思っている派です。( ˊᵕˋ; )
私には自分の意見というものが存在しないような気がして、「他人の意見が自分の意見」「他人の目は絶対に正しい」と信じて生きてきました。
家族とでさえ顔色を伺って機嫌を損ねないように気をつけながら接しています。(家族のことが嫌いだとか怒ると怖いとかそういうことではないのですが、自分のせいで機嫌が悪くなるのがとても怖いです)
私はかれこれ10年ほど前に小学生だった時から人との接し方がよく分からなくなり、周りの人付き合いが上手な人たちの真似をしながら生きてきた結果、自分ではない自分像が出来上がってしまいました。
周りからは「悩みなんてなさそうなマイペースな人」だと思われていると思います。ネガティブなことをダラダラと話す人は嫌われるし、行き過ぎた卑下は侮辱になり得ると学んだ末の、精一杯の振る舞いの賜物です。こう勘違いされていると周りの機嫌を損なうことがあまりないですし、人間関係も円滑に築けるので個人的には大成功なキャラ付けだと思っています。
小瓶主さんは「私は自分に自信がありません。本当に空っぽなので、それを知られたくない、隠したいという思いでいっぱいです。」とおっしゃっていますが、それが自分らしさというものなのではないですか?
“自分らしさ”は必ずしもポジティブな言葉とは限らないかもしれませんよ。それが自信につながるのかと言ったらそうではないかもしれませんが、よくご自身のことを理解されていると思います。
“その人らしさ”は、生い立ち・文化・環境・教育… など、その人とは関係のない、外的要因で構成された何かではないのかな? と考えています。
きっと本当の意味での自分らしさを持ち合わせているのは、周りの影響を受けていないどころか創り出した存在である神様か、初めの人類であるアダムとイブくらいだと思います。普通の人間は、知らず知らずのうちに“誰からしさ”を自分らしさだと思い込まされて生きているだけだと思います。
ひとりぼっちが怖いという気持ちもとても分かります。小瓶主さんがそう思われるのは、誰かに合わせるためにドラマを観たり、期待に応えるために自分らしさを抑え込むのに疲れてしまったからではないですかね。
小瓶主さんには好きなこと、ものがありますか?
芸術やスポーツなどの趣味、食べ物、映画や本、ドラマなど、何かありますか?
私は独りになれる(なってしまう)時間に、自分を知っている人のいないような地で好きなことを存分にするのが好きです。何も外国とかに旅行する必要はなく、隣町とか一駅向こうとか、とにかくその日初めて会ってきっともう会うこともないであろう人しかいない場所で、好きな料理を食べたり本屋に長居したり10km以上の散歩をしたりしています。
ひとりぼっちというものを、“苦”ではなく“周りの人に合わせる必要のない息抜きの時間”と考えてみるのはどうでしょう。仮に死ぬまでひとりぼっちであれば思う存分に好きなことができちゃうわけです。(これが喜ばしいことか否かはさておき)
私はその時間だけは自分らしくいられる気がしています。好みの装いが変わったのは“ひとりぼっち”を人生の休日にするようになってからです。
でも、ずっとひとりぼっちのまま生きていくというのは怖いですよね… 私もそう思います。ただ、何も取り繕っていない姿の小瓶主さんだからこそ一緒にいたい、と思う方は必ずいると思いますよ。
自分らしさの有無やそれが何なのかを決めるのは他でもない自分なのでしょう。それを探し求めているということも、きっと自分らしく生きるということです。私も私らしい生き方が何なのかよく分かっていませんしね(ˉ ˘ ˉ; )
小瓶主さんが穏やかな生き方を見つけられることをお祈りしています。(*´︶`*)
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。