克服したい
人を信じるということ
私は幼少期から虐待にあい、お前なんかゆうこと聞いていればいいんだと、考える力や話す力を奪われ笑顔も奪われて育ちました、いわゆる何考えるかわからないとレッテル張られるタイプです
虐待のあまりの酷さに叔母が私を引き取りたいとゆってくれた時はすがる思いで助かるんだと嬉しくて叔母に顔を向けました、
そうすると手の平を返したように慌てて「実の親の子への思いには勝てないから」と捨てられました、あの悲しさの衝撃は今も焼き付いています
今も野菜を送ってくれたりとか良くしてくれますがあの悲しさは今も鮮明に覚えています、
叔母が叔母の家にいつでも帰っておいでとゆってくれますが口先だけなのが分かり、もういいやと、悲しくなります人を信じると裏切られるんですよねなんでだろ。
ななしさん
傷付き、堪えて、やっと希望がみえて、緩んだ心にズタズタに傷が付きましたね。
でも堪えて生きてて、立派なサバイバーですね。
虐待、私も心身共に母親から受けていました。堪えて抜いた、私もサバイバーです(^-^)
そのせいか、負の感情を表に出すのがとても苦手で平気なふりをしてしまいます。
殺される!と思った事も、自ら消えてなくなりたいと、思った事も何度もありましたが、憎みきれませんでした。
期待すると深く傷付くのが判っているので、自分を守るためか親族に期待出来ませんし、頼る事もなかなかしません。
当時、酷い事をされていても他の母親と比べる事がなかったので、異常な事と理解してませんでした。
何故だか弱音を吐くのが恥ずかしい事に想えましたし、心配かけたくなくて、ひたすら我慢していました。
限界を超える事があっても、うまく弱音を吐けず家族も親族も頼りませんでした。
元々の母親の性格でマイナス思考なのもありますが、当時は精神的な病気だったのかも。と、今では解釈しています。
母親が癇癪をおこして、暴力的になった時には、私は近所のおばちゃんの家や、友達の家に避難していました。
ご近所付き合いが活発な地域だったので、一時でも心身共に逃げ場があって助かりました。
外面が良い母は、他所の家までは追いかけて来ませんでしたので。
深く傷つけられた後遺症って残りますよね。ふいに、フラッシュバックしてきたりします。
優しい人が沢山いるここに記す事で、心が休まり、少しずつ人を信じることができたら素敵ですね。