仕事でものすごくくたびれていて。
その上、友達から共感することを強要するようなラインが来て、
疲れているからうまく対応できなくて、
そうしたら私の、相手を気遣ったつもりの一言がカチンときたらしく、
今度は私の人格否定に回ってきて・・・・。
なんで人は突然、裁判官になるんだろ。なんで人は突然、道徳の教師になるんだろ。
あなたのこういうところがダメなんだと、わーっとラインが来た。
いや、お説ごもっともです。
でも、私、完璧じゃないんです。私に完璧な人格者であることを要求しないで。
私なりに精一杯の配慮をしたつもりだったけど、
あなたが期待するものと違ったからといって責めないで。
あなたも私の気持ち、わからないでしょ?
あなたは自分の気持ちをわかってくれるのが当たり前のように思っているかもしれないけど、
私の気持ちなど考えていないでしょ?
疲れた。
ごめん。今はあなたに付き合えない。
あなたが今、大変なのはわかるけど、あなたはご主人もていて頼る相手がいる。
経済的に余裕もある。
私などいなくても、どうにかなる。
けど、私には私しかいないの。
だから私ひとりで自分を支えなきゃいけないの。
だから、今は勘弁してちょうだい。
ということで、なんともラチのあかない互いの言い分のラインを繰り返し、
くたびれきっているのにつまらないことに時間を割いてしまい、
ほとほと自分にうんざりした。
結局、久しぶりに取れた休みなのに、昨夜はよく眠れず、
今は頭痛がしてどっと疲労が押し寄せてる。
「もうこの話はやめましょ」と伝えたのに、
そんなこと無視して、ひたすら私の非をあげつらってくる。
なんかこう、もっと簡潔にこういうことを解決する最善の策はないものだろうか。
相手を傷つけるのではなく、パシッとやりとりをきっちり終えられる、決め手の言葉は。
モヤモヤしながらPCを開きいつものメールチェックしたら、
「人生の主役はだれですか?」という言葉が目に飛び込んできた。
まるで電気が走るみたいだった。
映画の中には主役、脇役、いろんな人がいて、
みんなそれぞれに生まれ育った背景があって今の現実がある、って。
それぞれが主役なんだ、って。
あなたの人生はあなたが主役、それが「家族」「友達」なら、それは違うよ、と。
そして、それに続いて、
苦しいことはいろいろあるけど、そういうときはこう言ってください、と。
「さぁ、これからもっと面白いことが始まるぞ!」と。
脳はその言葉を受けて、本当にワクワクしだすから、と。
そうすると本当に面白いこと、もっと良いことが起きてくるから、と。
今朝も起きたら友達からのラインが届いてた。
やはりどこまでも自分を正当化。あくまで私が間違っていることを指摘してくる。
私はあなたの性格をあれこれ指摘しないけど、ただ、自分の状況を説明したよね。
今はあなたの気持ちに寄り添うのは難しいのだ、と。
寄り添うことを人に要求するのは間違いなのだ、と。
わかってとはいわないけど、今は私はこういう状況なんです、と。
それを知った上でも、あなたは私に「寄り添えてない」「それでもその道のブロか」「誠実じゃない」云々というんですか、と。
ならもうどうぞ自由にしてください、と私は諦めた。
もうお腹いっぱいです。
やっと取れた休日。こんなことでモヤモヤしたくない。
だから口にしてみた。
「さぁ、これからもっと面白いことになるぞ!」と。
そうしたら、嗚咽がこみ上げてきた。
ずーーーーーっと何年も泣かなかったのに。
「そうだ! 私、人生に何も期待してなかったんだ!」って気づいた。
期待しちゃいけないと思ってた。失望した時がつらいから。
楽しいこと、もっと良いことが自分に起きてくる、それを受け取っていいんだ、
体験していいんだ、って思えなかった。
そういう未来を生きる権利は自分にはないんだと思ってた。
楽しむ資格は私にはないんだ、って、心のどこかでずっと思ってたことに気づいたよ。
ひとしきり嗚咽して、なんだかスッキリした。
誰に非難されようと、私は私なりに思いやり最善の言葉を考え考え、何時間も考えて綴ったの。
やること、やらなきゃいけないこと、何より頭も体も休めなきゃいけないこと、
たくさんたくさんあったけど。
それが相手の期待に合致しなかったのは不運だったけど、
私もくたびれていて、完璧には寄り添えなかった。
時間もなかった。
私は私の主役なのだから、守られた環境にいる彼女に無理に寄り添うのはやめた。
私がいなくたって彼女はなんら困らない。
でも、私は私がつぶれてしまったら困るの。
何より、私が抱えている命ふたつが非常に困るの。
といってももう喧嘩別れした後だから、もうその心配はなくなったけどね。
ごめんね、私はあなたの人生のために都合よく生きてるわけじゃない。