うちは浄土真宗なので仏式のお葬式をすると決まっているのですが、それが怖くてしかたありません。
読経の声も、ものものしい祭壇も、遺影も、家族の亡骸の入った棺に花を納めるのも、火葬してる間の何ともいえない時間も、全て恐ろしく悲しく感じます。
1度祖父の葬式に出たときにはずっと涙と震えと吐き気が止まらず、親戚に見苦しい姿を見せてしまいました。そのあともだいぶ引きずって、中学もすこし休んでしまいました。
あまり考えたくないのですが、祖母もこの先そう長くはないような気がして、祖母の葬式のことに思いを巡らせるとひどく憂鬱な気持ちになります。その時が来たら、できれば出席したくないとさえ思います。
ネットではそんなのは慣れだ、葬式を欠席するだなんて薄情だ、メンタルが弱すぎる、という声もありました。
たしかにそれは正論です。いつか私も親が亡くなったら喪主を務めなければならないでしょうから、その時に泣き崩れるようでは駄目だというのは頭では理解できます。
なのになぜこんなに葬式が怖いと感じるのか分かりません。仏教の儀式に馴染みがないから?家族だった骸を焼くということに対する忌避感?それとも死そのものへの恐怖?
こういう恐怖心って、どうやって克服すればいいものですか?(できれば慣れ以外で…)
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ななしさん
お返事ありがとうございます。
よく考えてみると、亡くなった家族ともう二度と話せないことに直面したくないとか、荘厳な儀式に圧倒されての恐怖感だったのかもしれません。
お葬式は思いやりで出来ているという言葉にはっとしました。そうですよね、故人をあの世へお見送りして冥福を祈るために行うのだから、本来は優しい儀式のはず。よく知らない形式だから恐ろしく感じるというのはすごく納得です、これから少しずつ仏教のこと調べてみようと思います。
色々な人生経験を積み重ねることで恐怖心が薄らぐということもあるんですね、私も冷静に対応できる大人になりたいなあ。
ななしさん
やはり死や儀式への漠然とした恐怖でしょうか…。
仏教がどんなものか、何かで読んだり知ったりした事ないですか?
簡単にいえば、仏教のお葬式は、亡くなった方があの世に行くためのお別れ会です。仏教では亡くなると、魂が三途の川を渡ってあの世に行くという考えです。その時に三途の川を渡るための渡し舟の乗車料として、小銭を遺体の服に忍ばせたりします。
読経は、お釈迦様の教えを弟子達が言い伝え、それが文章になったものです。内容はいろいあるのですが、ざっくりいうと、死んだ後天国に行けるため、行き方とか、生きてるウチに何をすればいいかとか話しています。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)っていいますよね。
あれは、阿弥陀如来(あみだにょらい)という神様の名前を呼んで、神様にお願いをしています。お葬式での南無阿弥陀仏は、故人がちゃんと極楽浄土(天国)に行けますように、って神様にお願いしています。
お葬式は、わりと思いやりで出来ています。
故人のこの世の旅立ちに必要なものを揃えて、お花で華やかにして、さよならといってらっしゃいを伝えます。お葬式は、亡くなった人へのサービス、と思えばいいと思います。
見送る人達は、最後のお別れという区切りが出来ること、故人のために儀式をちゃんと行ってあげられたという孝行が出来ることへの満足感、などなど。
宗教の儀式が堅苦しくて荘厳なのは、神様に対してお願いする儀式なので、神様に失礼のないように、ですね。あとは、ありがたい感じ、特別感の演出のためです。
ご遺体を火葬するのは、宗教上の理由ではなく、実は衛生面での理由です。火葬をせずに土葬すると、多湿の日本では病原菌とかが蔓延する可能性があるので、日本の法律で火葬が義務づけられています。ただ、煙が上がって天に登る様は、魂が天国に行く様子に見えるので、それを見てお別れの気持ちを持つ人も多いです。火葬の間は、亡くなった方との思い出を、周りの人と語ったりするといいと思います。
知らない事は怖く感じる事も多いので、ざっくりお葬式について書いてみましたが、ネットでもう少し詳しく検索してみたら、怖さも減るかも知れませんよ。宗教についても、色々な宗教の教えを調べてみると、色々違って面白いですし、怖さは無くなると思います。
長文になり失礼しました。
あなたの恐怖が少しでも減るといいのですが…。
ななしさん
たぶん、あなたは繊細で敏感なので、特にしんどいのでしょうね。
ご家族に気持ちを理解してもらえるなら、だいぶ楽になると思いますが、それができない場合は、何か自分を守る方法を考えてはどうでしょう。
人間は、わけのわからないものに対して恐怖を感じます。
たとえば、人の死やお葬式について、理解を深めるのもよいと思います。
浄土真宗の歴史や教えを調べると、亡くなった人が死後にどうなるかとか、お葬式をする意味なども分かるのではないでしょうか。
それから、お葬式では泣いても震えても倒れても、見苦しいと思われないので、大丈夫ですよ。
冷静そうに見える大人でも、心の中は恐怖と悲しみでいっぱいだったりするものです。人生経験の浅い若い人が、おろおろしてしまうのは、当たり前なのです。
お葬式は1回目が衝撃が大きいのですが、2回めは少し恐怖感が減ります。人間の習性なんだろうと思います。
ななしさん
難しいですね‥。つらいかもしれませんが、ご両親にこれ程つらいのだと、この文章まるごとお見せして、訴えて、それで学生のうちはもう、葬儀に出ない‥というのも、良い気がします。
恐怖心の克服‥。話は違いますが、私は大人数の前や威圧的な人が怖くて本当にダメなのですが、その恐怖心は、年齢と共にわずかながら、少しずつ薄まったようにも思えます。慣れとは違い、なんだか落ち着いたと言いますか‥。
なので、余り「克服しなきゃ‥!」と思いつめず、「大人になったらマシになってるかも」くらいに思うのはいかがでしょうか‥?解決策になっておらずごめんなさい。
ななしさん
出席者目線で言うと、喪主でも泣き崩れていいと思います。
死そのものへの恐怖?だとしたら…、死ぬ確率の方が今っ時点では少ないのでは。
生きた日数と、死にかけた日数を比較したら生きた日数の方が断然多いはず。
死そのものへの恐怖は考え方次第だと思います。
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