コロナ禍と呼ばれる時間に突入してから、
親族がたくさん亡くなった。
コロナ罹患でなく、
たまたま重なっただけなんだけど。
死がどんどん身近になる。
怖くはない。
みんな見守ってくれている、と思えるから。
そう、気休めだけど。
みんな良い人たちだった。
生前は家族を困らせたり
怒らせたりしたことも
それぞれにあったけど、
私には優しかった記憶しかない。
あんなに普通に生きてきた人たちが、
呆気なく死ぬ。
TVでは有名人も偉業を成した人の訃報が流れる。
より良く生きれば良い死が迎えられる、
心のどこかで、そんなふうに思っていたみたい。
でも、そんなこと、全く関係ない。
どう生きようと。
動物は、より良く生きようとして
生きているわけじゃない。
ただ生きているから、生き続けているだけ。
寒くても暑くても空腹でも、
日々を受け入れながら。
人間だけが生きること、
死ぬことに意味づけしたがる。
でも人も動物も生まれて死ぬサイクルの中にいるのは同じ。
私達も動物だということ、
忘れていたかもしれない。
生きている限り生きる、それだけのこと。
生きること、死ぬことを大げさにしすぎて、
自分以外の誰もが納得し、賞賛するような
ごもっともな意味づけをしようとするから
苦しくなるのかもしれない。
生きることの正解を、
いつか迎える死の正解を
求め続けるのは、
来るはずのない客を待ち望んで
窓の外を一生探し続けるようなもの。
生きること、
死ぬことにはなんの意味もない。
生きている間は、
ただ生き続けていくだけ。
いつか何もかもが灰に返り、
私の存在など二世代も経てば
誰も知らない。
私は生の中で生きていると同時に
死の中でも生きている。
ただ生きていくこと、そこにどんな意味付けもせず。
渡り鳥は寒くなれば暖かな大地へ渡る。
食べるものが無くなれば、
食べ物のある場所へと移動する。
生きやすさだけを、ただ求めることは、
自然の摂理なはず。
人間であっても。
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ななしさん
ちょうど同じこと思ってました。
私の周りにはコロナでも全然ご不幸がないんですけど。
コロナ禍を契機に皆が少し社会というものから遠ざかって日々の生活を客観的に内省するようになりましたよね。
ただ生きているから、生き続けているだけ。そう考えるとかなり楽です。
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